「処理水を飲んでみろ」「ワクチンを打ってみろ」に対応する難しさと必要性

音喜多 駿

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

22日のブイログでは、私が都議時代からライフワークの一つとして取り組んでいる「HPV(子宮頸がん)ワクチン」の摂取について取り上げました。

過去ブログはこちら:
男性議員だけど、子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)を接種してきた(2017年12月)

そして先日来、福島原発の処理水を巡る問題を取り上げているため、SNSを中心に激しい反応をいただいています。

こうした安全性の問題になると必ず、

「そんなに安全だと言うなら、お前がやってみろ(ワクチンを打ってみろ、処理水を飲んでみろ)!」

という意見が来ますが、HPVワクチンを実際に打った経験からも、残念ながら納得しない人は絶対に納得しません

今度は「自分の娘に打てるのか?」「いますぐ問題が起きなくても、数年後に副作用が発症するかもしれない」と、戦線が無限に拡大していくことになりがちです。

処理水についても一緒で、すでに何年も前に政府高官が処理水を口にしていますが、いまだに「おまえが飲んで見ろ問題」は解決をみておりません。

なお、私も基準値以下にしたものなら飲んでも問題ないという旨を記載したところ、「だったら大阪で水道水にして使え」というコメントが飛んできました(苦笑)。

このように「科学で納得してくれないから、情緒や行動で」と思って実行しても、効果てきめんに上手くいくとは限らないわけです。

しかしながらそれでもなお、人間が理性だけで判断しない以上、「情緒的な対応」も民主主義社会において政治的解決アプローチとして必要になります。

政治は論理と情緒の掛け算。

粘り強く科学的な正しさを主張しながら、時には被災地の水を飲む・魚を食べる。そして少量でも処理水を引き受けるといった象徴的な行動によって、人々の感情に訴えかけて「納得感」を引き出す。

一部の「絶対に納得しない人」は仕方ないとして、メディアに流されて「なんとなく怖い」と思っている多数派層には、情緒的アプローチが効果的な場合もあります。

ただし、やりすぎると悪しきポピュリズムに陥りますから、あくまで政治家は「科学的な根拠に基づいて」行動することが重要でしょう。

維新の国会議員団は、こうした観点に基づいて、来月にも改めて福島原発の現地を訪れる予定です。

松井市長・吉村府知事の発言を受けて、「決めるのは時期尚早」などと反対している首長もおりますが、これは「自分の任期の間は触れて欲しくない」という典型的な先送りの態度。

事故から8年以上が経過し、議論も堂々巡りを続けている今、決断することこそが政治の責任です。

国会議員として引き続き、HPVワクチン・処理水の問題に科学に基づいた決着がつけられるよう、論理と情緒の双方からアプローチを続けていきます。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会、地域政党あたらしい党代表)のブログ2019年9月22日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。