表現の不自由展再開、混乱する現地ルポ(写真多数!)

倉本 圭造

あいちトリエンナーレ行ってきました!

日本中を巻き込んだ大激論の中、再開された「表現の不自由展」を見るために、あいちトリエンナーレ行ってまいりました。

この記事は、

・メディア的な切り取りではない「普通の一般参加者」としての視点からの「現地の雰囲気」が伝わるような写真付きのルポ的なもの

と、

・この問題をどう考えるべきなのか、という話

をしたいと思っています。

目次は以下の感じ。

  1. メディア的な切り取りじゃない、「一般参加者」視点の会場の雰囲気ルポ(写真多数)
  2. 「不自由展以外の展示」が案外いいし、津田氏も結構頑張ってると思った
  3. メディアにぜひ気をつけて欲しいたった一つの単純なこと
  4. 最後に、より深いこの問題の本質について

です。

1.メディア的な切り取りじゃない、「一般参加者」視点の会場の雰囲気ルポ(写真多数)

会場は名古屋の繁華街「栄」の巨大なビルの中にあるんですが、ビルに入るまではほとんど「本当にここでやってるのかな?」という閑散とした雰囲気でした。平日の昼間だし東京じゃないし・・・ってのもあるかもしれません。

たぶんメディアでは大写しになるだろう再開反対のプラカードを持った一群も、人数はそれほど多くなく、演説も結構紳士的な雰囲気で。


(公開再開時の午後2時頃には、だいたいこれ↑で全部ぐらいでした。大きな公園の中にあるんで、この一群以外はメディア関係者がチラホラいるぐらいで、本当にここでやってるのかな?という雰囲気。)

しかし、実際にビルの中に入ってみると…

人多い!!!しかも廊下は空調効いて無くて暑い!!!

↑ 表現の不自由展に入るにはチケット以外に整理券の抽選が必要で、その列は延々階段を上がって別の階の廊下を果てしなく端っこまで行って折り返して戻ってきてさらにぐるりと館内を一周してやっと整理券がもらえる状態(繰り返しますがココは会場でなく廊下なので空調効いて無くて暑かったです)

平日の昼間にも関わらず、たぶん数百人ぐらいはいたと思います。

そしてその抽選結果ちゃんと不自由展を見れるのは・・・

え?こんだけ?↑

半分ぐらいは当たりクジなのかな…とか根拠のない期待をしてたんですが、当選発表時間に指定の場所に行ったらめっちゃ小さなディスプレイが一個おいてあって、「え?これだけ??」ってなりました。

コレはよっぽどのくじ運がないと見れそうにないです…

結局午前の部と午後の部両方この長蛇の列にならんだんですが、抽選には両方外れました。

ルポって言っといてハズレたんかーい!!!って思うかもしれないけど、でも「これが普通の参加者の大半の体験」ですよ…という意味は確実にあると思います。

暑いところにめっっちゃ並ばされて、ほんの30人だけ公開・・・っていうのは、結構な徒労感がね、ありますよ。いや恨み言ですけど。

なんかある意味、話題のアートにリアクションする普通の市民の権利が検閲されてるとすら言えるような仕切りなのでは…

2.「不自由展以外の展示」が案外いいし、津田氏も結構頑張ってると思った

これ、私はたまたま愛知県にいたからいいけど、東京からわざわざ「不自由展」を目指して遠路はるばるやってきて、コレだったら結構ショックが大きいかもしれません。平日昼ですらこの倍率ですから、休日となるともっと絶望的な感じになるでしょうし。

ただ、もうチケット買っちゃったし、見て帰るか・・・と思って見た「不自由展以外の展示」はかなり良かったです。凄い楽しめた。

「めっちゃアート好き」って人じゃなくても、一個一個「普通に暮らしていては見えない視点」をアート的に表現している感じが新鮮で、普通に知的好奇心がある人ならチケット代分ぐらいは楽しめると思います。新幹線代が追加されて一日潰れて、コレだけ見て帰る・・・ので満足できるかどうかは、かなり筋金入りの「アート好きの自覚」が必要かもしれませんが。

そしてですね、この「不自由展以外の展示」を見て回ってる時に、芸術監督の津田大介氏が取り巻き?数十人を連れて見て回りながら解説してるのに出くわしたんですね。

学校の一クラスを引率する先生みたいな感じで↑、数十人引き連れて一個ずつ解説してたんですけど、案外凄い良かったです。

いや「案外」とか言ったら失礼ですし、彼のことを私はよく知りませんが、ネットで「アートの専門家でもないのに云々」みたいな批判されてるの結構見ましたけど、「普通に専門家っぽかった」です。

一個ずつの作品の狙いや注目点、ユーモアを交えた裏側話など・・・よく美術館で配布される、イヤホンで一個ずつ解説してくれる機械・・・よりも「へえ、なるほど」的な発見もあったし、「なんだ普通に頑張ってるじゃん」的なことは思いました。

まあ、「学位」とかそういう話を持ち出すと専門家とはなんぞやみたいな話になりますが、アートの専門家度合いが学位だけで測られるというのも反アート的な態度だと思いますし(笑)

「不自由展以外の展示」がかなり良かったし、津田氏も、この政治的問題における賛否は人それぞれでしょうが、「芸術監督」としては結構頑張っておられたように感じましたことを、「フェア」に書き記しておきたいと思います。

さて、ここ以降の後半は、実際に会場の雰囲気に接してみて、この問題をどう扱うべきかという「考察」に入りたいわけですが…

目次はさきほど書いたように、

  1. メディアにぜひ気をつけて欲しいたった一つの単純なこと
  2. 最後に、より深いこの問題の本質について

です。

ただ、アゴラの文字数限界がすでに迫っているので、後半の掲載は明日以降となります。

一応私のブログで一括掲載していますが、明日以降掲載されるアゴラ版には、これよりももう少し踏み込んだ加筆もしようと思っているので、アゴラでの次回掲載もお楽しみいただければと思っています。

それでは、また次の記事でお会いしましょう。更新は不定期なので、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々ご確認いただければと思います。

ちなみに私の5年ぶりの新刊、

「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?

が、来年1月にディスカバー21社から出ます。長く時間をかけただけがあって、本当に自分の「すべて」を出し切れた本になったと思っています。

現在、noteで先行公開しており、無料部分だけでもかなり概要がつかめるようになっていますので、この記事に共感された方はその無料部分だけでもお読みいただければと思っています。

こちらから。

同時に、その話をさらに推し進めたところから、日韓関係をはじめとする東アジアの未来の平和はこの視点からしかありえない…と私は考えている提言については、以下をどうぞ。

21世紀の東アジアの平和のためのメタ正義的解決法について

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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