日本国憲法公布記念式典の勅語を読み解く --- 吉岡 研一

1946年(昭和21年)11月3日、昭和天皇は日本国憲法公布式典にて勅語を発した。これは勅語ゆえ、法的な効力はないが、日本国憲法は欽定憲法(拙稿「日本国憲法は民定憲法か」参照)なので、この勅語は、制定者である天皇が直接国民に制定の意図を語ったものとして注目に値する。本稿でこの勅語を読み解いてみたい。

日本国憲法に署名する昭和天皇(Wikipedia:編集部)

本日、日本国憲法を公布せしめた。

この一節は言うまでもなく、1946年(昭和21年)11月3日、日本国憲法を公布させたとの意。それでは、公布させたのは誰か? 天皇である。もし、国民が公布したのなら、「公布された」となるはずである。この一節で、日本国憲法は欽定憲法であることを宣言したものと解するのが至当である。

この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたのである。

「帝国憲法の全面的改正」とする事により、この憲法が帝国憲法の改正であり、これとの連続性が保たれている事を表している。これは、「自由に表明された国民の総意によって確定された」のであり、制定ではない事に注意すべきだ。つまり、国民は議会の議決によって「確定」しただけで、この憲法が民定憲法ではない明白な記述である。

即ち、日本国民は、みずから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたのである。

「即ち」のあとは「国家再建の基礎」たる「人類普遍の原理」の説明になっているが、これはなかなか深刻な内容だ。勅語のそれは、「戦争放棄」と「基本的人権の尊重」と「民主主義に基づいて国政を運営」を定めたものだが、これは憲法前文の「人類普遍の原理」とかなり違う内容だ。

憲法の方のそれは、国政が「国民の厳粛な信託」によって「その権威は国民に由来し」その権力の行使は「国民の代表者」が行使し、その福利は「国民がこれを享受」する。すなわち、国民主権を謳っていて、勅語のそれとは内容が全く違う。「民主主義に基づいて国政を運営」する事が、国民主権と等しいとは限らない。それは、帝国憲法における国家主権やイギリスの様な国会主権でも民主主義は成り立つからである。

拙稿「日本国憲法は民定憲法か」でも指摘したが、前文は国民がこの憲法を確定したとする欽定憲法を示す内容と主権が国民に存するという国民主権と矛盾する内容になっている。

朕は、国民と共に、全力をあげ、相携へて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するやうに努めたいと思ふ。

ここの部分は、天皇が国民とともに国家の運営に関わるという、君民共治的な立場を表明されたもので、「自由と平和を愛する文化国家を建設する」という、目標に共にすすまんとする意思を表したものと解する事ができる。

朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

ここでは、あらためて日本国憲法の成立過程を説明している。すなわち、「国民の総意」によって帝国憲法の改正手続きによって成立したと、この憲法がまぎれもなく「欽定憲法」であると念を押している。

この勅語は、日本国憲法の「三大原則」のうち、平和主義 基本的人権の尊重までは語っているが、国民主権については何も語っていない。これによって、欽定憲法としての法的一貫性が保たれている。逆に前文は「国民主権」を謳いながら国民が憲法を「確定する」という、民定憲法を否定する内容矛盾を抱えている。

自民党の改憲草案は、「日本国民は、」「この憲法を制定する」と民定憲法の形式にしてあるが、欽定憲法からの変化を、私が知る限り、自民党は、何一つ説明していない。

私は切に願う。憲法改正には、「日本国憲法公布記念式典の勅語」を常に念頭に置いて議論をすすめてほしいと。

吉岡 研一 ホテル勤務 フロント業務
大学卒業後、司法書士事務所、警備員などの勤務を経て現職。