話題の映画「ジョーカー」は社会の闇の縮図だ!

先日、夫と二人で今話題の映画「ジョーカー」を観て参りました。

事前のレビューで「心がえぐられるよう」「メンタルやられる」「希望がない」など真っ暗な反応がある反面、「面白い」「考えさせられる」「オスカー大本命」といったものも多く観られ、私としてもどうなんだろ?と半信半疑で観て参りました。

結果!面白い!めっちゃくちゃ面白く、考えさせられる映画です。
特に福祉関係に関わる方々には是非ご覧いただきたい作品です。

ネタバレに気をつけながら書きますが、ご存じない方のために説明すると、「ジョーカー」とはあのバットマンの敵役です。それで、この悪役「ジョーカー」はいかにしてジョーカーになったのか?というストーリーが本作なのですが、これが本当によく背景が描かれているんですね。

日本でも時々起る、社会への恨みを抱えた人が起こす犯行。
それに対して「逆恨みだ」「甘えだ」「親の育て方が悪い」と、大抵はそのような反応だけで終わってしまいます。
けれどもどんな事件も丁寧にたどっていくと、ここで社会の支援体制のどこかで救いあげられていたら…
というターニングポイントがあります。

何故ここで、この人の支援は見過ごされたのか?
何故ここで、この人の訴えに耳を傾ける人がいなかったのか?
何故ここで、正しい知識は伝わらないのか?

日本でも現在起きている問題が、赤裸々に描かれています。
助けを求めても、求めても届かない声。
そしてどこでも言われる自己責任論。
理解されない病気。
さらにはどんどん広がる格差社会と、政治家の偽善。

また、簡単に「自己責任論」を繰り広げる人たちにも、この映画を見て欲しいと思いますが、この世には、とんでもなく深い闇の中に生まれ、一度も希望を与えられることなく、生きてくるしかなかった人達が確かにいるのです。

絶望を生き続けるしかない境遇にある人がこの世にはいること、それは、決して映画の中の話しではなく、今のこの日本の中にもいます。しかもそれほど珍しい話しでもなく、実は私たちは何度も報道で見聞きしています。
また、この業界にいると本当に大変な状況にある人達と繋がることは多々あります。

例えば、依存症の場合当事者が非常に暴力的になってしまい家族は怯えながら生活をしている、けれども老人介護もしくは障害のある家族がいて、家から逃げられないとか、幼いころから親に虐待されていて、ろくに学校にも通っていない人や、本人にも親にも軽度の知的障害や発達障害などがあって、短期の非正規雇用を転々とするような生活をぎりぎりで続けてきたけれど、誰かが病気やけがをしてそれも立ちゆかなくなったのに、何の支援も受けられていない人などなど….一体、なぜどこのセーフティネットにも引っかからないのか?と憤りを感じることは少なくありません。

一度など、7人の子供がコンテナ暮らしで学校にも行かず、トイレも公園というようなご家族が、そこでさらに訪問販売の罠にひっかかり、カードを作らされ、次から次にものを売りつけられた…という案件に関わったことがあります。

そして政治も選挙の時は「弱者救済」を声高に叫びますが、実際の税金の使い道は福祉になど回らず、むしろ福祉の現状は悪くなる一方です。

こうしたなかなか拾われない声や、社会構造について、見事に映像化したのがこの「ジョーカー」です。
本当に多くの方々に見て欲しい、名作です。
お勧めします!


田中 紀子
公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表
国立精神・神経医療センター 薬物依存研究部 研究生
競艇・カジノにはまったギャンブル依存症当事者であり、祖父、父、夫がギャンブル依存症という三代目ギャン妻(ギャンブラーの妻)です。 著書:「三代目ギャン妻の物語」(高文研)「ギャンブル依存症」(角川新書)「ギャンブル依存症問題を考える会」公式サイト