日本企業の競争力低下は、学校教育の重大な失敗だ

2019年10月20日 11:30

中国企業が買収の東芝「白物」 意識変化で急成長」(朝日新聞)という記事が目についた。同じようなニュースはしばしば報道されているので、とくに目新しいものではない。こういったニュースは、もはや常識化したといっていいだろう。

私は、これの現象は、日本人が知的・技術的に劣っているわけではなく、メンタリティの問題、またそのメンタリティが構造化、制度化した問題だと分析している。

学校教育といった場合、「東大の国際ランキングがこんなに低い」とか「大学の競争力をつけなければ」とか「大学入試が簡単になってる」とかいう話になってしまう場合が多いが、もっと根深い問題がある。それは、初等中等教育で植え付けられるメンタリティが、日本企業の競争力やイノベーションを妨げているのではないかという問題である。

個人的には、神戸市の学校教員の不祥事によって、教育公務員に自浄作用がないことが明らかになり、そこから学校不要論・学校解体論が出てくるのではと期待をしている。

学力低下はたいした問題ではない

初等中等教育は、学力低下で引き合いに出されるが、PISAなどの調査ではけっして引けを取らないどころか、つねにトップクラスである(調査方法などの信ぴょう性は置いておく)。

また、日本の競争力低下を、大学教育に求め、G(グローバル)型対L(ローカル)型に大学を分けようという議論もあった。これもまったく正論だし、そうした方が間違いなくよい(文系の先生がたは目をむいて反論していたが、根拠薄弱な議論ばかりなのが、この国の大学人の限界を物語る残念さだった)と思う。内需サービス産業は、実学にもとづいている教育でL型人材を輩出したほうが効率的だ。

閑話休題、この中国系企業の買収によって飛躍を遂げたというエピソードの言わんとすることは、日本企業の競争力低下は、学力とか技術知識よりも、経営者・労働者のメンタリティの問題が大きく関与しているのだということだ。

日本人の「考えない」行動様式を規定する9年間ないし12年間

では、そのメンタリティはどこで形成されるかというと、子供たちがいちばん多感な時期である小中学校、初等中等教育である

とにかく抑圧的である。ちょっとでもはみ出せば、発達障害のレッテルを貼られてしまう。発達障害の認定数が高まっているのは、現在の学校の閉塞感、閉鎖性をよく表している。

授業中の態度、発表会等の態度、整列行進といった集団での所作、「ブラック校則」による矯正といった態度教育の自然な制度化は、以前よりも進んでいる。

現在学校現場で進めているアクティブラーニングに至っては、とくに酷い。教員のもっている決まりきった“結論”に向かって、“自由に”議論して発言しなくてはならない。

このような環境で、多感な年代を過ごせば、挑戦もしなければ、合理的な判断もできない人間になってしまうのは、当たり前だ。仮に面従腹背できる賢い子供でも、期間が長すぎるので、影響は避けられないだろう。

なぜエリート中のエリートである経営者すらも縮小再生産されたのか

そんな人材を量産しつづけているのが、日本の初等中等教育である学校だ。そして、社会の中心となっている経営者層の年代も、もはや制度化した学校教育にどっぷりと使っていた世代になってしまっている。

ゆえに経済団体の長たちが、円安誘導を期待したり、消費増税はもろ手を挙げて歓迎して公共事業という自分たちの食い扶持を確保したりするといった、自由経済からは程遠いけれど、確実に儲けられるビジネスモデルに走ってしまうのではないだろうか。正解のない課題は苦手なのだ。

NNNニュースより

例えば、製造業は、農業とおなじように、00年代に政府から直接的な補助を受けるようになった。このような考え方の変化は今にいたるまで残っている。今は円安になったのでこのような直接的な補助はない。ただし、円安による補助はつづいているし、例えば経済の改革を行ってなにか新しいことを行うときに、政府が何をやるかということをみんな求めてしまっている。

働き方改革にしても、政府がどういった働き方改革を提案するかということに、関心が向かってしまっている。政府のコントロールを脱して、自分たちで経済を改革していこうという考え方は、日本人の間からなくなってしまったように思える。

また、円安ということは日本の労組右派の賃金がドルに見て安くなるということだ。日本の賃金は抑えられているがために、企業の利益が増えているということになり、国民から見たら窮乏化政策だろう。

ましてや、一般社員たちの抑圧は、大きいものだろう。ゆえに、社員会社に対するエンゲージメント指数も、極めて低くなってしまう。それを嫌気する優秀な若者は、スタートアップに行ってしまう。

まずは教育問題の認識からあらためよう

正解のない課題に答えを出すことは、日本人は苦手としているとされているが、これは決して学業を暗記科目にしてしまったからではなく、こういった多感な時期に行動の正解を求められ続けた弊害ではないだろうか。教員たちには、自分たちが子供たちの能力や可能性を削いでいるという自覚は、まったくない。客観的には学校学級の秩序維持の方針でしかない抑圧が、教師の主観では「子供のためにしていること」にすり替わってしまっているのだ。

日本の競争力低下のすべてが学校教育のせいではない。けれども、こういった負の側面の影響は甚大で、もっと光を当てていく必要があるだろう。

教育問題は、いわゆる「学力問題」ではなく、この「見えない学力」「隠れたカリキュラム」「態度教育」といったものからのメンタリティの醸成が、日本国民を能力以下の生産性に貶めている大きな一因だという現実を直視しない限り、米国の属国に留まるどころか、中国の朝貢国になることは避けられないだろう。

中沢 良平
大手元請系企業に勤務後、私立小学校に勤務。公立小学校に転身後、早期退職。年金支給までギジュツ系個人事業主として糊口をしのいでいる。

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