余命半年と告げられた教授は...ジョニー・デップが好演

もう1か月前になるが、所用で一時帰国した際、機内で映画『The Professor』を観た。内容もさることながら、タイトルに惹かれた。ガンで余命半年の宣告を受けた大学教授の話である。限られた命の時間をいかに過ごすかというテーマの作品は数多くあるが、自分の身に置き換えたらどうなるのか。そんなことを考えた。いよいよそんな年齢に達したのかとも思う。

人生最大のピンチを迎えても、時に弱さを抱えながら、あらゆる拘束や束縛から自分を解放し、最後の時間を生き抜こうとする。人生は矛盾と不運に満ちているが、それは客観的に存在するわけではない。人生の意義は、第一人称でいかに自分のストーリーを語るかにかかっている。正直に人生と向き合い、暗さよりも明るさを演じ通したジョニー・デップの演技は圧巻だ。

同時並行で進む家庭や友人、教室のストーリーが散漫的で、焦点がボケて見えるかも知れないが、そこは観る側が自分の視点で掘り下げていけばよい。一方的に楽しませ、満足させてくれる娯楽映画に慣れ切り、受け身でしか鑑賞できないのでは、自分にとって価値あるものは何も見いだせない。フィルター・バブルを取り払い、主体的に答えを探さなければ、自由さえ放棄することになる。

私にとって最も印象的だったのは、余命宣告を受けた後、主人公の大学教授が、何の迷いもなく授業を継続したことだ。選択肢はたくさんあったはずである。仕事を放り投げて旅行に行ってもいいし、家族や友人と最後の時間を過ごしてもいい。映画のストーリーは、何の躊躇もなく、授業の場面へと移っていく。学生たちへのメッセージが、教室で多くの時間を過ごしてきた彼の人生の遺言になっているのだ。

ただ彼は、これまでの授業とは全く違ったスタイルを取ると宣言する。興味のない授業を、単位のために我慢して聴くのは時間の無駄だ。教える方にとっても、無駄な労力を使うことになる。だから従来のルールを取り払い、学生も教師も、思いのままに振る舞ってよい。

彼は授業は文学だ。だから、ビジネスを学び、公務員や政治家になろうとする学生は、最低の点数で単位を与えるから退室してよい、と追い出す。そして、スウェット・パンツで教室に来ているマナー知らずの学生、さらに、これまで心から楽しんで読書をしたことのない学生は、この教室にいるべきではない、と言う。授業の課題は、一冊の本を読んで、その感想をみなの前で語るだけでよい。

その結果、30人ほどいたクラスも三分の一以下になる。彼は残った個性的な学生を連れて屋外へ、バーへと出かける。学生に語るのは、世間の束縛から自分を解放し、本当に好きなことを探し、好きな人生を送ればよい、という簡単なメッセージだ。実はこの簡単なことが一番難しい。彼はそれを身をもって示しそうと、破天荒な行動を繰り返す。

教師が君子然として、自分にはとうていできないことを学生に押し付けるようなことが多い。教育論を語るのが三度の飯より好きで、授業では学生から全く尊敬されていないような教師も少なくない。新聞の社説は空理空論であふれ、偽善が大手を振ってまかり通る。そんな社会の中にあって、彼の破天荒さは尊い。

形式にとらわれて心を忘れ、自己保身のために事なかれ主義に陥り、自省なき自己の正当化に腐心する人のあり様に辟易としている人たちは、彼の生き方を見てきっと胸のすく思いをするに違いない。

自分だったらどうだろうか、と振り返る。やはり同じように教壇に立つのではないか、と思う。実際、その次の授業では映画を紹介し、主人公と同じように、興味のない学生は出て行ってよいと話してみた。さすがに映画のように退室する学生は一人もいなかったが・・・。だが、大きな反省を強いられることになった。

映画に感動したぐらいで、調子に乗っていた。実はクラスにしばしば欠席をする学生がいた。あの日も彼女の姿は見えなかったが、何週目かたって、ひょっこり現れた。幸い私はみなの前で、「無理して出席することはない」とは言わなかった。

彼女の表情が不自然だったこともあり、日を改め、個別に面談した。過去に何度も単位を落としたこと。今の専攻に疑問を持っていること。少しずつ話しているうちに、彼女が目に涙を浮かべ、自分が長年患っている心の病について話し始めた。彼女の意向を尊重しながら、早速、対応を検討しているところである。

状況をわきまえず、うかつに発言すると、意図に反して若者の心を傷つけることがある。映画はあくまで映画でしかない。肝に銘じたところである。

心の問題で休学や退学するケースは中国でも増えている。過剰な管理や、その一方で希薄化する人間関係が背景にあるのだとしたら、授業でできることは、できる限り一人一人に目を向け、心を開いた本音の触れ合いに努めることしかない。この点では、『The Professor』も貴重なメッセージを含んでいると言える。

間違いなくお薦めの一作である。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2019年10月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。