「データ資本主義」で仕事がなくなるのは、教科書が読めたホワイトカラー?

2019年11月11日 06:00

「データ資本主義」とは、ビッグデータが経済活動に著しい可能性を開くことを指す。AIとビッグデータは手を携えあって進化していく。その結果、「データ資本主義」とも言える概念が立ち現れるという社会である。

一方で、ビッグデータは、プラットフォーム企業の情報の独占や監視社会をもたらす危険性すらある。

つまり、われわれは歴史の大きな曲がり角にいるという。

AIと日本

ビッグデータはデータサイズが天文的に拡大することによって、AI機械学習の訓練データに用いられたり、プロファイリング(相手がどういう人か判断する作業)することでスコアリングや不正取引の見地に使われたりする。

そのためはデータを大量に送受信できる5Gサービスを開始しなくてはならないが、日本は通信インフラのハード面ですら立ち遅れてしまっている。もはやものづくり大国とはいえない状況となっている。

パタン認識の飛躍的向上

コンピュータはパタン認識が苦手であったが、ディープラーニングによってそれが可能になった。ディープラーニングによる学習の特徴は、理論ではなく量で問題を克服したことだ。AIによる画像認識能力は、人間のものとほぼ同じになっているが、とにかく膨大な画像を学習させるとによって、それが可能になった。

ただし、問題は、AIの思考過程を人間が理解できないことだ。ディープラーニングで構築された最終的な正解が、なぜ正解なのか人間には理解できないのだ。モデルはわからないが、とにかく正しい答えを出している。

プロファイリングのすごさ

その中で、プロファイリングの分野は、個人情報の概念を変えるほどの影響力を持っている。フェイスブックの「いいね!」だけで、その人の属性がほぼわかってしまうという話は有名だが、これらがターゲティング広告に使われる程度ならいい。けれども、保険料や信用度スコアリングに発展していき、最終的には監視社会への道を開く危険性もある。

理論駆動型科学からデータ駆動型科学へ

現代科学の方法論は、物理学で確立された「現実を抽象化・単純化した中で法則を理論化する」というものだった。理論駆動型科学の方法は、対象から枝葉末節を取り除き、本質を取り出してモデル化できるかどうかというものだ。

これにたいして、データ駆動型科学は、ヒトゲノムの解読の過程から顕著になったが、これは大量のデータと超高速のコンピュータがあれば、モデルがなくても正しい結果が得られるという方法論である。

データ駆動型による意思決定の激変

データ駆動型は、モデルを固定せずに、データを用いて、現象を説明するモデルをコンピュータが推定してしまう。相関関係が把握できればいいのであって、因果関係がわからななくてもよい。そういう大転換がおこったのだ。そして、その「正解」なぜ正解なのかを人間が理解できないのである。

仮説から出発する「後ろ向き連鎖」では、「仮説から出発して、それに合うデータがあるかどうか調べていく」のであるが、「データ駆動型」の「前向き連鎖」は「まずデータを見て、それが適用できるルールや法則を考える」ということになる。「データ駆動型」は状況の変化に対応しやすい。ビッグデータによって、データ駆動型が優位になってしまった。

データ駆動型を経営に当てはめると、情報が判断を決めるということだ。経営者は人間なので、「後ろ向き連鎖」であるが、現場で新しい事態が起こったときに対応するデータ駆動型は自動的に戦略が変更される。問題は、それを経営者が「よし」とするかである。自分の仕事がデータサイエンティストに奪われる可能性が頭にちらつくからだろう。

このままいくと、「教科書が読め」て「ある程度頭のよい」人たちの仕事ほど消滅してしまう恐れがある。いっぽう、「教科書があんまり読めない」人たちは、もとから極端にコミュニケーション偏重的な業種(介護や保育など)や、その都度判断が必要な現業職(建設業の職人など)に就くことになっているので、むしろ失業の憂き目は低いのではないだろうか。これらの仕事は、けっこう頭を使うが、「教科書を読む」ような頭のよさではない。

データサイエンスとは

データサイエンスは、「データが駆動する」アプローチである。コンピュータは与えられたデータを用いて機械学習をして、結果を出す。データサイエンティストは、どの機械学習を選んだり、変数の選択をおこなったり、欠損したデータを修正したりする。データを利用した経営には、データサイエンティストが欠かせない。もちろん、日本では人材が不足している。

プラットフォーム企業

GAFAやBATという呼び名は人口に膾炙したが、これらの企業は、無料で集めたデータを価値のある資本に転換している。また、対価なしにビッグデータを集めてしまったところに特徴がある。そして、その利益率は高い。

これからは、資金力でも権力でもなく、データが資本になっていく可能性があり、日本はデータ資本主義に決定的に立ち遅れている。

データを収集できるサービスと企業は限られている。それらの企業がビッグデータを支配して、AIを支配するということになってしまう。大手プラットフォーマーが力をもつのだ。そして、独占的にプロファイリングを行っていく。ここが問題だ。

ビッグデータは様々な新しい可能性を切り開いてくれるが、プライバシーの侵害にはじまり、監視社会、管理社会がもたらされる危険性もある。街頭カメラなどやインターネットのサービスを通じたプロファイリングといったものだ。そして、AIは顔認証やプロファイリングを基盤とした強力な支配の武器となる。

その中でも中国の特殊性は特出している。AIを最優先技術に指定し、13億人のデータを蓄積している。民主主義国家でないことと中国人のプイラバシー意識の弱さによるものだ。このことによって「デジタルレーニン主義」が実現してしまうのではと危惧する研究者もきるのだ。米中貿易戦争の根底には、こういった問題が横たわっている。

ほんとうはAI vs. 教科書が読めた労働者?

大規模なインターネットサービスでも、実際に作業をしているスタッフは少数で、製造業の時代にくらべて、きわめて少数の高度人材がいれば仕事が回ってしまう。じっさい利益も大きくなる。ホワイトカラーの単純労働は、自動化されてしまうので、創造的な人材だけになってしまう。

この点で、日本ではいまだに製造業時代の「態度教育」がなされている。子供たちが社会に出たときに、仕事がなくなっていないか、願うのみである。

中沢 良平
大手元請系企業に勤務後、私立小学校に勤務。公立小学校に転身後、早期退職。年金支給開始まで技術系個人事業主として糊口をしのぐ日々。

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