ローマ法王、訪日で袴田死刑囚と会見へ

バチカン・ニュースが16日、明らかにしたところによると、23日から26日のフランシスコ法王の訪日中、東京で元プロボクサーの袴田巌死刑囚(83)と会見する予定だ。同死刑囚は1966年、静岡県清水市で起きた強盗犯人放火事件(死者4人)の犯人として死刑判決を受け、45年間以上、東京拘置所に収監拘束されてきた。死刑囚として世界で最長収監拘束記録としてギネスブックに一時記載されたほどだ。

同死刑囚は2014年、DNA鑑定で犯人ではないことが判明して死刑執行が停止され、釈放されたが、再審はこれまで拒否されているから、死刑囚の立場は変わらない。ただし、バチカン側は元死刑囚と呼んでいる。

23日に来日するフランシスコ法王

バチカンのマテロ・ブル二広報官が15日報じたところによると、フランシスコ法王と死刑囚の会合は「私的な会合であり、法王の公式訪問プログラムには掲載されていない」という。ローマ法王と死刑囚との会合をアレンジしたのは日本司教会議で、フランシスコ法王の東京ドームでの記念礼拝(25日)に招待することになっている。

なお、日本ローマ・カトリック教会は同死刑囚の釈放のためアムネスティ・インターナショナルなどと連携してきた。同死刑囚は1984年、拘置所でカトリック教徒の洗礼を受けている。フランシスコ法王は死刑制廃止を主張し、昨年8月、カトリック教義を修正し、「如何なる状況でも死刑は道徳的に許容できない」と表明してきた。

ローマ法王の訪日は1981年の故ヨハネ・パウロ2世の訪問以来38年ぶりだ。フランシスコ法王が日本好きであることは良く知られている。ローマ法王の訪日の主要モットーは「命の保護と全ての生命の保護」だ。その意味は、単に個々の人間の尊厳を守るだけではなく、環境も含まれる。特に、2度被爆した日本にとっては特別の意味合いがあるという。

最初の訪問国・タイから日本入りする法王は23日夜、日本のカトリック教会司教団と最初の会合。24日の日曜日には長崎に飛び、そこの平和公園で世界に向かって原爆の恐ろしさを伝え、 豊臣秀吉のキリシタン禁止令(1597年2月5日)によって26人のキリシタンたちが殉教したことを追悼する西坂公園の記念碑、記念館を訪ねる(26人の殉教者はその後、聖人に列聖され、「日本26聖人」と呼ばれる)。ピウス12世(在位1939~58年)は西坂公園をカトリック教徒の公式巡礼地に認定している。

長崎の野球場でミサを行った後、フランシスコ法王は次の訪問地広島に向かう。そこで平和集会に参加し、世界に向かって同じように原爆の全廃を訴える。25日には東京に戻り、2011年3月、東北を襲った地震、津波、そして福島第一原発事故の被災者と会う。そして皇居を訪問し、今年5月に天皇に即位された徳仁天皇陛下を謁見訪問した後、東京ドームで記念礼拝をする。安倍晋三首相と会談し、政治家、外交官、有識者の前で記念スピーチすることになっている。日本滞在最後の半日、フランシスコ法王はドイツのイエズス会が創設した東京のソフィア大学(上智大学)で教会関係者と文化センターで礼拝する。

バチカンによると、「カトリック教徒は約50万人、人口の0.6%」で、新旧教会を合わせても日本のキリスト教徒は人口の1%にも満たない少数宗派に過ぎない。ただし、日本には海外から50万人以上の出稼ぎ労働者がおり、フィリピン、韓国、ブラジル出身者にはキリスト信者が多い。また、フランシスコ法王の訪日に合わせて、海外から多数の信者たちが日本を訪問するとみられている。

フランシスコ法王は聖職者になった頃、日本宣教を希望したが、健康問題があって実現できずに終わった。法王は日本のキリスト教迫害時代の信者の信仰に強く関心を有しているという。2014年1月に行われたサンピエトロ広場での一般謁見で中東からの巡礼信徒に対し、厳しい迫害にもかかわらず信仰を守り通した日本のキリシタンを例に挙げて励ました、という話が伝わっている。

法王の来日を控え、16世紀末から19世紀半ばの日本国内のキリスト者の迫害状況を記述した「マレガ文書」(Marega Paper)が強い関心を呼んでいる。バチカン・ニュースも数回に分けて、「マレガ文書」を紹介している(「法王は訪日で『神』を発見できるか」2019年11月5日参考)。

ローマ法王の訪問は基本的には司牧が主要目的で、訪問国の信者たちの信仰を鼓舞することに重点があるが、フランシスコ法王の訪日では、長崎、広島を視察し、核廃絶を世界にアピールする一方、死刑囚と会合して死刑制度の廃止を訴えるなど、大きな政治テーマを掲げて世界にアピールする機会となるわけだ。聖職者の未成年者への性的虐待問題の対応で苦慮してきたフランシスコ法王にとって、訪日は世界の宗教指導者としてのイメージ回復にもなる(「ローマ法王訪日を政治目的に利用するな!」2019年9月15日参考)。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月21日の記事に一部加筆。