故郷に錦を飾れない「教皇」の悩み

長谷川 良

このコラムが掲載される頃はフランシスコ教皇はイタリアへの帰国途上だろう。いつものように機内で随伴記者団との会見が行われているかもしれない。82歳の高齢フランシスコ教皇にとって10時間以上の飛行機旅は大変だっただろうと推測する。日本国民の一人として教皇の訪日を感謝したい。教皇の訪問で慰められ、励まされた日本人も多かっただろう。

天皇閣下を謁見したフランシスコ教皇(2019年11月25日、バチカン・ニュース公式サイトから)

フランシスコ教皇にとって若い時代の夢だった「日本での宣教活動」は実現できなかったが、ペテロの後継者として日本を訪ね、肌で日本国民、社会を体験できたのだから、若い時の夢の一部は実現された、と受け取っていいだろう。

バチカンに戻れば、フランシスコ教皇には聖職者の未成年者への性的虐待問題や女性の聖職者問題からバチカンの不正財政問題に至るまで多くの難問が待っている。健康にきつい日々がまた始まる。

ところで、南米出身のフランシスコ教皇は2013年3月、第266代ローマ教皇に選出されて以来6年半が過ぎたが、まだ故郷(アルゼンチン)に錦を飾っていない。前教皇べネディクト16世(在位2005年〜13年)は就任後、ドイツに凱旋帰国している。ポーランド出身の故ヨハネ・パウロ2世(在位1978年〜2005年)は27年間の教皇在位期間中、数回帰国し、国民から大歓迎を受けている。

アルゼンチン出身のフランシスコ教皇はなぜ故郷に帰国しないのだろうか。何か特別の理由があるのか。カトリック教信者が人口の1%にも満たないタイや日本を訪問し、中東のイスラム教国エジプトやアラブ首長連邦には足を向けるが、フランシスコ教皇は母国を訪ねていないのだ。

教皇就任直後、世界最大のカトリック教会、南米のブラジルを訪問し、15年にはエクアドル、ボリビア、キューバを訪問。16年にはメキシコ、17年にはコロンビアをそれぞれ訪問し、昨年はチリとペルーを訪ねたが、アルゼンチンだけはフランシスコ教皇の外遊計画には入っていなかった。そして来年の2020年の教皇の外国訪問先にもアルゼンチンの名前が見つからないのだ。どうしたのか。

教皇になる前はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿としてブエノスアイレス大司教を務めてきた。ベルゴリオ枢機卿は故郷に戻れない理由でもあるのだろうか。故郷で何か悪いことをしたのか。アルゼンチンの日刊紙クラリンは、「フランシスコ教皇はペルーを訪ねながら、なぜ母国アルゼンチンを素通りするのか」と疑問を呈したが、フランシスコン教皇とアルゼンチンの間にきっと何かがあったのだろう。

ベルゴリオ枢機卿が教皇に選出された後、アルゼンチンから2度、現職大統領がバチカンを訪問し、フランシスコ教皇と会見している。クリスティーナ・フェルナンデス・キルチネル大統領が13年の教皇就任式典に参加した。そして大統領が代わり、実業界出身のマウリシオ・マクリ現大統領が2016年末、バチカンを訪問し、フランシスコ教皇を謁見したが、両者の会談はわずか20分間で終わったことから、「マクリ大統領はブエノスアイレス市長時代、近くに住んでいたベルゴリオ大司教(現フランシスコ教皇)とはほとんど交流がなかった」という不仲説さえ流れたものだ。

これまでメディアに流れた「教皇の帰国できない理由」としては、①フランシスコ教皇のアルゼンチンの軍政政権時代(1976年〜83年、ベルゴリオ大司教時代)での、独裁政権との関係説。アルゼンチン国民の中には、「ベルゴリオ大司教は独裁政権への抵抗が十分ではなかった」、「修道院の同胞が迫害されても救援しなかった」、「彼は独裁政権の共犯だ」等の批判の声があった。②教皇は国内の政治問題に自身が利用されることを避けたい、そして③はバチカン側の説明だが、「日程の都合」だ。③は例外だろう。チリ、ペルーを訪問しながら、隣国のアルゼンチンを訪問する日程がなかったでは余りにも説得力がない。

興味深い点は、バチカン・ニュースはアルゼンチンの政情についてはかなり頻繁に報道していることだ。バチカン・ニュースは今月19日、「次期大統領アルベルト・フェルナンデス元首相は、「中絶の自由化に関する審議を早急に開始したい」と述べたと報じている。フランシスコ教皇のアルゼンチン教会は中絶の自由化には反対している。ただし、アルゼンチンの中絶闘争がフランシスコ教皇の帰国を阻んでいるとは考えられない。むしろ逆だ。ベルゴリオ枢機卿は故郷に戻り、国民に中絶の危険性を訴えるべきだからだ。

フランシスコ教皇と母国との関係を考えていると、「預言者は故郷では受け入れられない」と語ったイエスの言葉を思い出す信者もいるだろう。当方はフランシスコ教皇は神の約束の地カナンを目の前にしながら入れなかったモーセと重なる(もちろん、フランシスコ教皇はイエスでもモーセでもない)。

イエスは常に「ナザレから何のよいものが出ようか」と嘲笑された。イエスがエルサレムに入り、福音を伝えようとすると、イエスを知っているユダヤ人から、「彼は大工ヨゼフの息子だ。その息子がキリストであるはずがない」として、偽りを伝える危険人物と受け取られた。その時、「エルサレムよ、エルサレムよ」という有名な嘆きがイエスの口から飛び出したわけだ。イエスが嘆いたように、神が送った多くの預言者は過去、故郷では歓迎されず、むしろ迫害されてきた(「『預言者』は故郷では歓迎されない」2018年1月18日)。

一方、モーセは60万人のイスラエル民族を引き連れて奴隷生活を強いられてきたエジプトを出てカナンに向かったが、イスラエル民族は辛い長旅に不満を吐露し、エジプトに戻りたいと嘆く。それを聞いたモーセは激怒し、神からもらった「十戒」を記した石板を地に投げつけて壊す。最終的には、神はモーセに「あなたはカナンに入れない」と言い渡すシーンが「出エジプト記」に記述されている。

フランシスコ教皇はアルゼンチン国民を愛している。しかし、ペテロの後継者となったフランシスコ教皇は世界13億人の信者を先ずケアしなければならない。ローマ・カトリック教会は今、崩壊の危機に瀕している。聖職者の性犯罪件数は数万件に及ぶ。その賠償金の支払いは世界のカトリック教会の財政を危機に陥らせている。信者は教会への信頼感を失い、教会脱会者は年々増加。一方、聖職者になる若者の数は年々減少し、聖職者が不在の教区も出てきた。
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フランシスコ教皇はアルゼンチンに戻り、旧友と会ってのんびりとした日々を過ごしたいだろう。教皇には自身の羊たち(アルゼンチンの国民)を愛する前に他の羊たち(世界のカトリック信者たち)を愛さなければならないという思いが強いのかもしれない。

世界のカトリック教会は初代キリスト教会のように霊性を取り戻し、生き生きとした神の館に回復できるだろうか。フランシスコ教皇はいつ故郷に錦を飾ることができるだろうか。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月26日の記事に一部加筆。