木枯らし吹く日本の「全ゲノム解析」施策

今、鹿児島の桜島が一望できるホテルに滞在している。昨夜、鹿児島県医師会の招きで。講演をするために来た。がん医療革命に直結するゲノム・免疫療法・人工知能をキーワードにがん医療が革命的に変化するであろうことを紹介した。あとの懇親会で多くの方から、質問があったし、一緒にできないものかとの依頼があった。医療現場が変わりつつあることを実感している。

鹿児島に来るのは2回目であり、前回は忙しくてとんぼ返りで、桜島をゆっくり眺める時間はなかったが、今回はホテルの前にくっきりと桜島が見える。東京よりも暖かいと期待してきたが、昨日の最高気温は10度未満と寒かった。

そして、今回は、知覧特攻平和会館に行きたかったのだが、ここから50㎞以上離れており、公共交通機関を利用すると帰りのフライトの時間に間に合わないので断念し、出発時間までホテルで過ごしている。曇天が残念だが、目の前に雄大な桜島が見える。

そして、西郷隆盛を感じつつ、このブログを書いている。欧米の植民地化を防いだ明治維新の偉人たち、身を挺してこの国を守ろうとした特攻隊員たちを想うと、自分の利権しか頭にない人たちが跋扈している現状が悲しくなってくる。

写真AC:編集部

国の全がんゲノム解析も曇天模様だ。私は全エキソーム解析で症例数を増やして薬剤の使い分けに応用すべきと主張してきたが、全く無視されて、国の方針として全ゲノム解析の方針に決まった。と思っていたら、調整費として予算化された某センターが主導するリキッドバイオプシーでは、大腸がん千症例ほどに対して、全エキソーム解析を実施するそうだ。

医学の研究には、ゴールとして臨床出口があるはずだ。ゴールを見据えて、研究計画を立案すべきだが、シークエンスそのものがゴールというのは、私には理解できない。そもそも、1990年に始まった「ヒトゲノム解析計画」には、「医療」に貢献するという「明確な目標」があった。1980年代後半、ホワイトー中村マーカーが利用できるようになり、遺伝性疾患の原因遺伝子のマッピング(染色体上の位置の特定)が進んだ。

当然ながら、染色体上の位置の特定から、原因遺伝子特定に向けて、多くの研究室が競争を始めた。ほとんど同じようなアプローチであったので、誰が見ても、膨大な研究費の無駄が生じていた。競争状況でみんなが一番乗りを目指せば、協調・連携などという綺麗ごとは通用しない。そこで、大御所たちが動き、共有できる最も有用な情報である全ゲノムの解析を開始したのだ。

このゲノム解析のゴールは、医学・医療への貢献であった。1989年まで米国の遺伝学研究のメッカであったユタ大学で過ごした私は、この歴史の胎動を、そのど真ん中で見ていた。決して単に30億の遺伝暗号を決めることが目的ではなく、その先を見据えての「ヒトゲノム解析計画」だったのだ。

がんの全ゲノム解析をして、その先に何を見ようとしているのかわからないままに、国の施策が決められている。米国の「ヒトゲノム解析計画」は2003年に終わったのではなく、その後「ハップマップ計画(遺伝子多型のデータベース化)」「1000人ゲノム計画(1000人のゲノムを明らかにする計画)」「がんゲノム解析計画(TCGA=The Cancer Genome Atlas)」と常に医療への応用を視野に入れてプロジェクトが進められてきた。

10年遅れであるにもかかわらず、ビジョンのない人たちの思い付きの案が肩で風を切って歩いている。そして、私の心の中に木枯らしが吹いている。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年12月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。