風評被害を再生産しているのは誰か

池田 信夫

福島第一原発の貯水タンク(経産省サイトより)

バズフィードとヤフーが、福島第一原発の処理水についてキャンペーンを始めたが、問題の記事は意味不明だ。ほとんどは既知の話のおさらいで、5ページにようやく経産省の小委員会のメンバーの話が出てくるが、海洋放出に反対する委員の話だけを紹介する。その根拠は科学ではなく、風評被害である。

最後は福島県漁連の野崎会長の「国民的議論を尽くし、国民の信頼を得た上で国が判断し、その責任を負うことを明確にすべきだ」という話で結ぶが、これはまやかしである。国民的議論はもう出尽くし、国(原子力規制委員会)は海洋放出しかないという方針を出した。決定権は県漁連にあるのだ

それは福島第一原発のサブドレン(井戸)をみてもわかる。原子炉に流入する前の地下水にもトリチウムは含まれているが、この記事にも書かれているように2015年9月、政府と東電はサブドレンの地下水の海洋放出を決めた。このときの交渉相手は漁協だけだった。

貯水タンクの処理水も、漁協さえOKすれば海洋放出できる。放射性物質が環境基準以下なら、魚に放射能は残留しない。そういう事実がわかれば漁業は正常化し、風評被害はなくなるだろう。築地市場の豊洲移転で騒がれた風評被害について、今は誰もいわないのと同じだ。

風評被害がないと困る人々

ではなぜ漁協は海洋放出に反対するのか。それは風評被害がなくなると困るからだ。漁業が正常化すると、休業補償が出なくなる。その額は地域によって違うが、豊洲で仲卸をする生田よしかつさんによると、通常の漁業所得のほぼ9割が支給されるという。

福島県沖の海水は環境基準を満たしているので、操業は禁止されていないが、操業が一定の回数を超えると休業補償が出ない。大部分の組合員にとっては漁を休んだほうが楽なので、今は通常の15%ぐらいの漁獲しかない。

福島の漁業をだめにしたのは風評被害ではなく、この休業補償の逆インセンティブである。漁協の中でも若い組合員には本格操業したいという意見が強いが、漁協の理事は高齢化しているので今のままのほうがいいという。

その操業しない理由になっているのが風評被害である。これに色々な補償金や補助金がついたため、風評被害が(行政も含めて)地元の産業になってしまったのだ。マスコミもそれに便乗するビジネスなので、漁協を被害者としてしか描かない。ネットメディアまでその尻馬に乗っている。

地元の流通業者の話では、福島の魚は今では普通に流通するが、供給量が確保できないため、小売店で棚が確保できないことがボトルネックになっているという。

このまま漁協が風評被害を叫び続けると、消費者は「福島の魚はやっぱり危ないんだ」と思って魚が売れず、漁民は漁に出られないという悪循環が続く。風評は迷信だが、迷信はそれを信じる人がいる限り続くのだ。

この悪循環を脱却するには、漁業補償の制度を変える必要がある。生活保護のように労働意欲を阻害している操業制限をなくし、以前の所得との差額を補償すればよい。補償額が多少増えても、20兆円を超える廃炉費用の中では大したコストではない。

漁業が正常化すれば福島の魚も売れるようになり、日常に戻れば風評は消えてゆくというのが豊洲の教訓である。漁協も迷信にしがみついていても、後継者がいなくなって衰退するだけだ。科学的な前向きの解決策を考える必要がある。