「大和主義」宣言 〜 あたらしい時代、どう大きな和をつくるか

私は、「大和」主義

「あたらしい時代、大きな和をつくろう」
私が10年前の衆議院選挙の時に掲げていたスローガンである。

今年の一字に「令」が選ばれたようだが、私はどちらかと言うと「和」の方を上げたかった。

「和をもって貴しとなす。」

実に素晴らしい言葉である。
争いの多い世の中を見るにつけ、「和」の大事さを痛感している。

特に、政治の世界がそうだ。どうでもいいことで小競り合いを続けている様子を見ながら、何とかして平安な世界を作り出したいものだ、という私の願いを自分のポスターに表わした。

大きな和をつくろというのが、私の願いだから、これをつづめれば「大和」ということになる。
「大和」は、ダイワと読む。

今の世界は、どうも逆の方向に向かって走っているようだ。
世界がどんどん分断されて行っているようだ。

なんで皆さん、わざわざ孤立の道を選んでしまうのかしら、と嘆いている。

どこかで歯止めを掛けないといけない。
何とかしなければいけない。

そういう思いを籠めて、今日から私は「大和主義」を宣言することにした。

新しい時代、大きな和をつくろう。

大和は、「やまと」とも読む。

如何だろうか。

私の周辺では共和主義を唱えたり、公和主義を唱えたりする方がおられる。
共和や公和より「令和」がいいんじゃないかな、と考えたこともあったが、今は、「大和」が一番のおススメである。

旧民主党公式サイトアーカイブより:編集部

「大きな和」の真ん中は、左翼ではないはず

どうやって大きな和を作るか、ということを皆さんも考えていただきたい。

大きな和の中心に共産党が来るとはとても考えられない。
同じように、大きな和の中心に排外主義の民族派やいわゆる右翼の方が来るとも思えない。

現在それなりに大きな和を作ることに成功しているのが自民党だと思うが、大方の人が懸念しているように今の自民党や自民党政治にはいくつかの重大な問題があり、いつまでもこのままでいいとはとても思えない。

大きな和は、いわゆる無党派層や穏健な保守層を中核にしない限り成立しないのではないかと思っている。

既成政党や様々な党派の垣根を乗り越えて作るのが、新しい「大きな和」だと思っているのだが、目下進行しているように見えるのは共産党や立憲民主党等のいわゆる左翼的傾向が強い方々が中核になろうとしている「小さな和」だろうと思う。

私が志向する大きな和とはちょっと違うな、と言わざるを得ない。

まあ、言うは易く行うのは難しの類なので、色々な試みが先行しても差し支えないが、立憲民主党が共産党との親和性を強めれば強めるだけ引いて行ってしまう層があることもお忘れなく。

大きな和の核になり得るのは、共通善(コモングッズ)とSDGs、豊民有徳?

大きくなれば何でもいいというものではないことは、確かだ。

大きな和を作ろう、と唱えているものの、これが個人の存在を軽視する全体主義や専制主義、さらにはファッショ化することは絶対に避けなければならない。

大きな和を作るための理念なり目標を明示しておかないと、結局は一部の官僚が事実上支配する理念なき全体主義なり、専制国家を招来することになりかねないから、やはりある程度の方向性は示した方がいいだろう。

大きな和はすなわち令和(ビューティフル・ハーモニー)だというのが、私の発想の原点にあるのだが、「個を殺さず、しかも全体として和を実現する調和の世界」が私が提唱している「あたらしい時代、大きな和を作ろう」という主義である。

別に私が長年熟考して辿り着いたものではないので、如何にも生煮えで、現時点で皆さんのご批判に堪え得るものだとはないことは承知しているが、一つの考え方としてあえて提示させていただいた。

鳩山氏ツイッター:編集部

ちなみに、私が今般「大和(ダイワ)主義をあえて表明したのは、先般知人から「次の日本へ – 共和主義宣言」という書物を贈呈されことが契機になっている。

「次の日本へ – 共和主義宣言」は、共和バンド代表の首藤信彦氏と友愛理事長の鳩山友紀夫氏(元総理の鳩山由紀夫氏が現在名乗っておられるお名前)の共著とされているが、この書を一読したら、私がかつて贈呈を受けた「共通善の経済学」(マーク・A・ルッツ著、馬場真光訳、晃洋書房出版)に書かれていることと同じような思想に基づいて共和主義を提唱されてり、現在共和党の設立に向けて同志を募っておられることが分かった。

共通善を志向することには賛同するが、鳩山さんの共和主義とは一線を画しますよ、というメッセージを籠めての、とりあえずの私の「大和(ダイワ)主義」宣言である。

その中身は何だ、と仰る方もおられるだろうが、皆さんのご意見をお伺いしながら大和主義の具体的中身はおいおい詰めていこうと思っている。

持続可能な世界を作る、一人一人の個人を大切にする、という意味で、SDGsや富民有徳(富国有徳ではない)などが大和主義の根幹に位置することになりそうだということくらいは、今の段階で申し上げていいかも知れない。

まあ、その程度のことである。

悪しからず。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年12月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。