「保守」と国連と安倍首相:山口敬之氏側に見る左右の場外乱闘

篠田 英朗

先日、「伊藤詩織さんと左右の場外乱闘」という題名の文章を書いた。あえて「保守」という言葉は避けておいたのだが、案の定、今回の山口敬之氏の事件をめぐって、「保守」という概念は、定義が争われるらしい(参照:小林よしのり氏「常識の海に沈められるエセ保守」」)。

確かに、たとえば山口氏が、小川榮太郎氏を携えて自己の主張を展開している姿は、「常識」的には理解が難しい。あえて、かつてLGBTと痴漢を比較する文章で物議をかもしたあの小川氏を起用するのは、「常識」的な発想の訴訟戦略には感じられない。

山口敬之氏(左)と記者会見する小川榮太郎氏(YouTube「週刊誌欠席裁判」より編集部引用)

SNSで回ってきたので、小川榮太郎氏の「性被害者を侮辱した「伊藤詩織」の正体」と言う題名の月刊『Hanada』という雑誌に掲載された文章を見てみた。すると、こんなことが書いてある。

仕事の世話をしてもらおうという男性との初めての会食で、自ら進んで大量に酒を煽り、陽気に振る舞っていたとなれば、その後の出来事は明確な犯跡がない限り、当事者間で解決すべき痴話に過ぎなくなる。

国連でこの実態を正直に語ったうえで性被害を訴えれば、笑い者になるどころか、逆に厳しく糾弾されるだろう。進んで自ら大酒したことを認めたら、性被害者として打って出る根本が崩れてしまう。

日本の保守層は、国連を嫌っている場合が多いと感じていたので、小川氏が自らの洞察の裏付けに「国連」を持ち出しているのは、意外に感じる。

しかし酔っぱらってしまったことを「国連」で「正直に語ったうえで性被害を訴えれば、笑い者になるどころか、逆に厳しく糾弾される」という考え方は、「常識」的な「国連」理解に反すると言わざるを得ない。

私は自分の専門分野から、相当数の国連職員を知っている。だが、小川氏の描写に合致する発言をしそうな国連職員は、一人たりとも思い浮かばない。

もし国連職員になりたいという人が、小川氏と同じ「国連」理解をしていたら、それは誤解にもとづくものなので、国連でのキャリアを考え直したほうがいい、と助言するだろう。

上述の小川氏の伊藤詩織さんを糾弾する文章は、「安倍首相と近い山口敬之を貶めたい人たち」への警戒を促す文章で結ばれている。

実際、山口氏も、小川氏も、その他の同じ文脈で言及される方々の多くも、安倍首相との関係が話題になっているらしい。

事件は全く政治イデオロギーが介在するものではない。しかし、一部の人たちが、安倍首相への立場こそが真の論点だ、と主張していることが、事件が「左右の場外乱闘」に発展している大きな原因なのだろう。

ただし、少なくとも「国連」は、そちら側ではない。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室