個人の「道徳・正義」が法を超越してはいけないシンプルな理由

2019年12月25日 14:00

んばんは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

メリークリスマス・イブ!ということで、本日は早めに帰って2時間ビーフシチューを煮込み、買ってきた「アナと雪の女王」DVDを鑑賞して家族で穏やかに過ごさせていただきました。

家族ができて穏やかな聖夜が過ごせることにただただ感謝するのみです。

独身時代の私がどれだけどうしようもないクリスマスを過ごしてきたかは、4年前くらいに記事でまとめていたのでこちらをご参照下さい。どんだけ真冬の海に飛び込むのが好きなんだ

参考過去記事:
都議会議員だけど、クリスマスが黒歴史だらけなので振り返ってみた【雑談】

https://otokitashun.com/blog/daily/9901/

さて、本日の日中はYouTuber経営者えらいてんちょうさんが上梓した「NHKから国民を守る党の研究」を拝読し、その感想を動画で配信させていただきました。

非常に興味深い本で、動画では5つほど論点を紹介させていただいたのですが、ブログではそのうちの1つ「法と道徳・正義」についてとりあげたいと思います。

-「法律なんか正直どうでもいいと僕は思っているんですね。…法律よりも、正義、道徳、こっちの方が大事です。馬鹿な大人、というか大多数の大人は法律を守れとか、悪法も法の内だとか言いますけれども、そんなの法律よりも正義とか道徳の方がよっぽど大切です。僕は、法律違反を堂々とやります。」(立花孝志氏の言葉。本書P54より抜粋、強調筆者)-

これは、立花孝志党首とN国党の政治倫理を端的に表した重要な言葉です。

こうしてみるとなんだか「格好いい!さすが!」と思ってしまう人がいるのかもしれませんし、そうした人々で支えられてN国党は国政政党まで躍進していきました。

しかしながら、「法律<<個人の正義・道徳」というのは言うまでもなく危険な考えです。

本書でえらてん氏も主張しているように、正義は人の数だけあって、過激派テロ集団すら己の「正義」に基づいて行動しています。互いの「正義」がぶつかって戦争や諍いが起きるというのは、半ば常識とも言えることです。

だからこそ、その最大公約数としてコンセンサスが取れた「法」に基づいて社会の秩序が保たれているわけであって、個人の正義や道徳が法に超越した社会がどうなるかは、火を見るより明らかではないでしょうか。

簡単に言えば、「力こそ正義」の北斗の拳の社会になります。やばい速攻で死ぬ。ガタイの良い立花さんは生き残るかもしれないけど。

もちろん法律の中には、時代遅れになってしまったもの、よりよく改善できるものが沢山あります。

だからこそ「ロウメーカー」である政治家・議員たちが丁寧にコンセンサスを取り、その法律を合意のもとで変えていくわけです。

現行の法律を変える前に「問題提起になるから良いのだ!」として法令違反を推奨していくことは、一歩譲って社会活動家がやることに意義はあっても、政治家・議員自身がやって良いことではありません

地方議員→国会議員となったにも関わらず、いまだに社会活動家のように「法の一線」をやすやすと超えてしまい、それを強くアピールしたことが、立花孝志氏やN国党に急速に吹いた逆風の一因ではないか…と、私は思っています。

他にも政治・政党組織やネット社会を考える上で、様々な示唆深い論点を見つけることができました。

気になった方は、ぜひ年末年始のお休みにお手にとって御覧くださいませ。

なんかクリスマスにふさわしくない話題になってしまった気がしますが、本日はこのあたりで。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会、地域政党あたらしい党代表)のブログ2019年12月24日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。

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音喜多 駿
参議院議員(東京選挙区、日本維新の会)、地域政党あたらしい党代表

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