【年末特集】ネット記事で振り返る「追悼2019」後編

アゴラ編集部

年末恒例、アゴラ編集部が注目した今年の訃報ニュース。2019年の後編です(前編はこちら)。

竹村健一さん 評論家
享年89 7月9日、多臓器不全で死去

生前は多数のCMにも出演した竹村さん(メリタカフェCMより)

竹村さんの番組でアシスタントをつとめた小池百合子都知事

私がよく使わせていただいている鳥の目、虫の目、そして魚の目という、そういう見方を、俯瞰(ふかん)するのと、細かくミクロを見るのと、そして、またトレンド、流れを見るのと、というのはまさしく竹村さんから学ばせていただいたスタンスだと思います。こういった、何か大きい視点で物事を評論されたり、それから、聞いたり、分析したりということがやはりメディアでも、また、色々な世界でも、分野でも必要で、その意味では、亡くなられたことはとても残念だと思っております。

(出典:産経新聞『小池知事定例会見録』7月13日)

ジャニー喜多川さん ジャニーズ事務所創設者
享年87 7月9日、くも膜下出血で死去

週刊現代在籍時に、ジャニーズ事務所との暗闘に直面した元木雅彦さん

どんな偉大な人間にも表の顔と裏の顔があり、建前と本音がある。ましてや芸能界という荒海の中で生き抜くためには、清濁を併せ呑む度量が要求されたはずだ。多角的な視点からジャニー喜多川という人間を見なければ、まっとうな評価はできない。

(略)ジャニー喜多川という芸能界の巨木が倒れた今、それぞれのメディアの現場が、芸能にジャーナリズムを取り戻すにはどうしたらいいのかを、一度立ち止まって考える時だと、私は思う。

(出典:プレジデントオンライン『ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪』7月23日)

天野之弥さん IAEA事務局長
享年72 7月18日死去

IAEAリリース

天野氏の動向を長年ウォッチしてきた長谷川良さん

当方は、天野氏にどの国が事務局長選で反対から棄権に回ったのかを直接、質問したことがある。反対から棄権に回った国があったから、天野氏は2009年の事務局長選で有効票の3分の2を獲得し、晴れて日本人初の事務局長に当選したのだ。当方は、「どの国が」に土壇場で天野支持に回ったかに強い関心があった。

天野氏は驚くような表情をして、「そのような質問には答えられない」と述べて、去っていった。当然だろう。天野氏は核関連情報や外交機密に対してはエルバラダイ氏の数倍、厳格な事務局長だった。

天野氏が事務局長就任早々機密情報保全に力を入れたのは、天野氏が日本人事務局長だったからだ。IAEAでは日本人は直ぐに情報を漏らす、という有り難くないイメージを持って受け取られてきたためだ。

(出典:アゴラ『IAEA天野氏は機密情報保全で厳格だった:きっかけは朝日新聞』7月24日)

瀧本哲史さん 京大客員准教授、投資家
享年47 8月10日死去

NHKニュースより

瀧本さんと学生時代から親交のあった朝比奈一郎さん

理性の人は、とかく、出来るかできないかという合理で物事を捉えがちだとの偏見がありましたが、瀧本さんは、理想や希望のために、エリートがどう理性を使うか、という矜持を強く持った方でした。失礼を承知で書けば、いい意味で阿呆だったんだと思います。(「何てこと言うんですか。はっ、はっ、は」と叱られそうですが)。

(略)学生時分には気づいていませんでしたが、人と人をつなげること、瀧本さんもご著書で引用されているグラノベッター的には、weakties(親類の紐帯等ではない弱いつながり)を多数作って、社会を少しでもいい方向に変えることに、大いなる関心をお持ちだったのかな、と今にして思います。

(出典:アゴラ『瀧本哲史さんとの思い出(下)才能を世のために使おうとした愛情』9月6日)

宮川典子さん 衆議院議員(逝去時)
享年40 9月12日  乳がんで死去

自民党サイトより

選挙戦をスタッフとして支えた高橋大輔さん

地元の魅力を再発見し、郷土愛を深めることにも余念がありませんでした。たとえば郷土料理のひとつ「ほうとう」なども、「私が食べると、おいしそうでしょう」取材を忘れ、毎回全力の完食でした。肌身はなさぬ地場産業の宝飾品なども、公には報じられることのない、女性候補ならではのさりげないPRでした。

他にも微細なエピソードを挙げればきりがありませんが、いずれにしても「苦しいとき」を無駄にしなかったからこその復活劇であったことは間違いありません。2012年には参議院から衆議院に転じ、悲願の初当選を果たしました。

(出典:アゴラ『「山梨のアンパンマン」宮川典子議員から進次郎氏へのメッセージ』9月16日)

佐藤忠志さん 元予備校講師、教育評論家
享年68 9月死去

Facebookより

佐藤さんと親交のあった尾藤克之さん

多くの記事には、趣味の車をはじめ放蕩を繰り返していたと書かれているが、事実とは異なる。日ごろ乗り回していたのは「SLクラス・ベンツ500SL」。それ以外を乗っているのを見たことが無い。コレクションは昔のこと。すでに走らない車もあった。(略)テレビ等でも「懐かしのあの人」のような番組で取り上げられることもあった。しかしギャラを支払ってくれないという話を聞いたことがある。先生は、見た目とは異なり優しい性格で揉め事を嫌う性分だった。

(出典:アゴラ『金ピカ先生の逝去を悼む!死者に鞭打つ雑誌に申し上げたい』10月12日)

金田正一さん 元プロ野球選手、元ロッテ監督
享年86 10月6日 急性胆管炎による敗血症で死去

野球記者時代、金田さんの始球式を取材した編集長・新田哲史

人柄は豪放磊落。金田さんの時代はスピードガンがなかったが、私が子どもの頃に見たテレビのインタビューで「160キロは出ていた」と豪語する姿から、「金田さんなら本当に投げていたのでは」と胸を躍らされたものだ。

(略)国鉄時代の女房役、根来広光さん(2009年、73歳で死去)はあまりの球威を長年受け続けたことで、体はボロボロだった。後年、金田さんがロッテで監督を務めた際には根来さんをコーチに招聘したが、現役時代に阿吽の呼吸で信頼していただけではなく、そのあたりの「恩義」にこたえた人事でもあったのだろう。

(出典:アゴラ『金田正一さん訃報:発表元がロッテではなく巨人で驚き』10月7日)

緒方貞子さん 元国連難民高等弁務官、元国際協力機構(JICA)理事長
享年92 10月22日死去

UNCHRサイトより

緒方さんに憧れ、国際支援の現場に入った篠田英朗さん

緒方氏は、不遇の境遇にあった難民・避難民のために心を砕いていた。疑いのない事実だ。だが、そのことだけを描写し続けるのは、足りないと思う。

(略)一番印象に残っているのは、UNHCR職員の現場での殉職に直面し、怒りの声を上げていた緒方氏の姿だ。追悼集会で「Enough is Enough(もう十分だ)」と叫んでいた緒方氏の姿だ。最高責任者が職員の殉職に対して見せた、あの真剣な怒りに接すればこそ、UNHCR職員は、またあらためて危険地での職務に向かって行った。

(出典:アゴラ『今、緒方貞子・元国連難民高等弁務官を追悼することの意味』11月3日)

中曽根康弘さん 元首相
享年101 11月29日死去

官邸サイトより

中曽根さんを何度も取材してきた田原総一朗さん

選挙戦が繰り広がれるなか、僕は『文藝春秋』のため、取材を開始した。中曽根さんが当選して、あらためてインタビューをしたとき、僕はまず、「風見鶏と言われています。調子のよいところがあり、信用されていないのではないのですか」と切り出した。

田中角栄と福田赳夫が争っていた、いわゆる「角福戦争」のときのことだ。中曽根さんは、はじめ福田側だったのが、途中から田中側についたため、「風見鶏」と揶揄されたのだ。

すると中曽根さんは怒りもせず、「風見鶏だからいいんじゃないか。風を見ることができなければ、政治家なんて危なくてしかたない」と答えたのだ。中曽根さんのおもしろいところだった。

(出典:アゴラ『僕が知っている中曽根康弘さんのこと』12月6日)

亡くなられた皆様のご冥福をあらためてお祈りいたします。

アゴラ編集部