カタルーニャから脱出した企業「5500社」の衝撃

カタルーニャから本社を移転した企業は5500社

スペインのカタルーニャ州政府が独立の為の違法住民投票を2017年10月1日に実施して2年が経過する。それ以後、カタルーニャ経済に回復の兆しはない。州政府は今もそれを隠し、この投票を指揮したプッチェモン前知事は依然ベルギーに逃亡中だ。彼が後任者として選んだキム・トッラ現州知事はプッチェモンによる遠隔操作で今も中央政府に背く言動を繰り返している。

キム・トッラ州知事(カタルーニャ州政府Facebookより)

この様な政治不安からカタルーニャから本社を他州に移した5500 社ある。
(参照:lainformacion.com

カタルーニャに存在している企業数は62万社とされている。この企業数から見て、カタルーニャを脱出した企業数はその1%にも満たない。しかし、脱出した企業の多くがカタルーニャを代表する企業であるということが重要である。(参照:libremercado.com

また、この2年間にカタルーニャに創設された企業もある。その数は1374社。ということでカタルーニャ州は差し引き4080社を失ったことになる。カタルーニャから脱出した企業が選んだ移転先の多くがマドリードで、その数は2939社。それに続いてバレンシアの616社、アラゴン409社、アンダルシア403社といった構成になっている。
(参照:cincodias.elpais.com

本社を他州に移したが生産や営業本部は依然カタルーニャ州で行っているのが殆どだ。法人税は別にして、各州で異なった税金や納める率に差異がある。本社を移転して来た企業はそれに従うことになる。

カタルーニャの2大銀行もカタルーニャから去った

カタルーニャの2大銀行カイシャ・バンクとバンコ・デ・サバディルの場合、前者はバレンシアに、後者はアリカンテにそれぞれ本社を移しているが、それによって資金の流出を防ぐ目的があった。独立投票以後、両銀行から300億ユーロ(3兆6000億円)の資金が流出するという損害を被っている。(参照:lainformacion.com

本社をカタルーニャ以外の州に置くということで顧客に対して「カタルーニャの銀行ではなくなった」という心理面から両銀行への信頼を回復させるためであった。

マドリードが経済規模でカタルーニャを抜いた

例えば、会社更生法の適用となった企業を見ると今年9月までで4社に1社がカタルーニャ出身の企業であるというデーターが出されている。全国レベルで9月までに会社更生法の対象になった企業は3116社に対して、カタルーニャの企業は778社あった。マドリードは546社、バレンシアは469社であった。(参照:elespanol.com

一方、スペインで新しく誕生した企業の4社に1社はマドリードで創設され、新しい雇用も5人にひとりがマドリードで生み出されている。また、国民一人当たりの所得でも1980年代はカタルーニャがマドリードを6%上回っていたのが、現在はその逆でマドリードがバルセロナを13%も引き離している。(参照:libremercado.com

それも影響して、失業率が全国レベルだと2.3%が減少したのに対し、カタルーニャでは1.4%しか減少していないという現象が起きている。

カタルーニャへの外国からの投資も減少

「カタルーニャは伝統的にダイナミックな都市とされていたが、それが今では消滅している」と国際ファイナンス分析家のゴンサロ・ガルシアが指摘している。それを見ることができるひとつとしてカタルーニャへの他州からの移住者は2005年にはほぼ28%いたのが、2017年はわずか18,965人しかいなかったという統計もある。そこにはカタラン語の障碍もある。

特にそれが経済面で反映しているのが外国からの投資である。住民投票以後、カタルーニャへの外国からの投資は89%減少している。カタルーニャ政府への不安から外国の企業は魅力を失っているのである。唯一、カタルーニャで今も活気があるのは観光業だけである。(参照:cincodias.elpais.com

カタルーニャは経済が後退したカナダ・ケベックの二の舞を踏むことになる

住民投票以後、その経済後退への不安は当初の予測を下回ってはいる。しかし、カタルーニャの経済は後退しているというのは確かな現象である。それを州政府は今も当然のごとく隠している。それを公表すれば独立への動きにブレーキがかかると懸念しているからである。

カタルーニャで起きている現象はカナダのケベック州で起きた独立運動に良く類似している。1980年に実施された国民投票がケベックの将来を左右する分岐点となった。ケベックから銀行を始め多くの企業が他州に移転した。それに伴って数十万人が他州に移住した。

更に、ケベック州政府は公用語をフランス語としたことによって、英語が経済を支配する現在、中心となる商圏も隣接したオンタリオ州の首府トロントに移動した。
(参照:lavanguardia.com

この影響から1981年から2006年までケベックのGDPは毎年平均して2.3%の成長したのに対し、他州は平均GDPは3%となった。また、この30年間の豊かさの成長もケベックの76.6%に対し、他州は109.9%の成長を達成している。

1950年代にはカナダの総人口の28.9%がケベック州に在住していたが、現在23.6%に減少。特に、若者が他州に多く移動した。1981年から2006年の間に15歳未満の少年の人口がケベックで12%減少しているのに対し、他州は逆に7%増加している。16歳から45歳の人口がケベックは7%しか増加していないのに対し、他州は40%の増加した。

1970年代からは50万人が他州に移住し、ケベックの人口は高齢化しているという。

1976年にはトロントとモントリオールの人口はほぼ同じ規模であったが、前者は2倍に人口が増加しているのに対し、後者は僅か30%の増加に留まっているという。
(参照:eleconomista.es

ケベックで独立運動の盛んな頃に実施された1995年の州民投票でも、独立反対50.58%、賛成49.42%という僅差であった。

しかし、現実の経済の発展を観た時にケベックは今も独立を達成していない上に、経済の成長は他州に比べ後退している。当時、独立意欲に燃えていた若者たちはケベックの今の後退した現状を目の当たりさせられているのである。(参照:elindependiente.com

カタルーニャにとって独立を煽って経済が後退したその良い前例がすでにあるのに今も州政府そして独立派にはそれが見えないようである。

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家