首都東京にこそ大量の移民が必要だ --- 坂中 英徳

寄稿

明治時代から戦後の初期にかけて、日本の農村地帯は人口の過剰が大きな問題であった。大量の若年人口が職を求めて都市部に移住した。農村部の勤勉な若年人口が生産労働人口として日本経済の発展を支え、日本は驚異的な高度経済成長を成し遂げることができた。

ひるがえって今日、第一次産業地帯は深刻な後継者不足と居住者人口の激減で、崩壊寸前の町や村が目立つ。人材が枯渇した地方には大都市に人口を送り出す力はない。150年ほど続いた農村部から都市部への国内人口移動の時代は終わった。

それは何を意味するか。日本経済の凋落の始まりである。日本列島全域で経済活力が失われ、日本経済は坂道を転げ落ちるように衰退の道をたどる。

首都東京も例外ではない。東京への一極集中が問題になっているが、社会移動による若者の人口流入が止まると、出生率が全国最低水準の東京は遠からず人口激減に見舞われる。

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万が一移民鎖国を続けた場合の50年後の東京は、高層ビルはあっても住む人がいないゴーストタウン現象があちこちで見られるであろう。首都の衰退をまぬがれるため東京にこそ大量の移民が必要であると、私はつとに主張している。

世界の若者を惹きつけるパワーがある東京が先頭を切って、「都民の10人に1人が移民」の、ニューヨークと並ぶ世界都市をめざす。東京に続いて、「市民の10%が移民」の国際都市を目標に掲げ、大阪、名古屋、横浜、福岡、札幌、仙台、広島、京都、神戸、金沢などの大都市が立ち上がる。1000万人の移民の大半で、これら大都市の崩落をくいとめてもらう必要があると私は考えている。

国内人口移動の流れが細る一方の日本は国際人口移動(移民)に活路を見いだすしかない。その場合、世界人材を引き寄せる魅力がまだ残っている大都市にがんばってもらうしかない。また、日本の若者がいなくなってさびれるいっぽうの第一次産業地帯に有為の外国人材は見向きもしないという厳しい現実を認める必要がある。

坂中 英徳(さかなか ひでのり)元東京入国管理局長、一般社団法人・移民政策研究所所長。
1945年生まれ。1970年、慶応義塾大学大学院法学研究科修士課程終了。同年法務省入省。東京入国管理局長などを歴任し、2005年3月退職。同年8月に外国人政策研究所(現・移民政策研究所)を設立。法務省在職時から現在まで、在日朝鮮人の処遇、人口減少社会の移民政策のあり方など一貫して移民政策の立案と取り組む。近年、50年間で1000万人の移民を受け入れる「日本型移民国家構想」、全人類が平和共存する「人類共同体構想」を提唱している。著書に「新版日本の移民国家ビジョン」(移民政策研究所)など。移民政策研究所サイト