失われた30年などなかった

2020年01月18日 06:00

城繫幸さんがTwitterでバブルの時代が再来することは絶対にないけどみんなそのころを基準にしてるよねとおっしゃっていた。

90年にバブルが崩壊して、その後、失われた10年といわれた。たしかにバブルの処理は失敗し、その後遺症は甚大なものとなり、就職氷河期世代などを生んだ(氷河期世代の多くが統計上で正社員になったということで、氷河期世代は解決したという話があるが、それはいくらなんでもひどいと思う)。けれども、その後その期間は20年となり、最近では30年といわれるようになった。

いらすとや

日本のいわゆる高度経済成長期は、1954年から1973年までだ。つまり19年間になる。日本はそのしばらくあとに30年も失われたのだろうか。むしろ高度経済成長期がたまたまのまぐれ当たりで、その後が実態に合った成長ではなかったのだろうか。つまり、日本にとっては、失われた30年ではなく、通常運転の30年だったのではないだろうか。

高度経済成長は復興の過程で当然だったという話もあるが、先進国まで押し上げるからにはなんらかの努力とタイミングがあったのだろう。けれども、それはたまたま起きたラッキーなできごとを、わたしたちは日本経済の真の実力として勘違いし、現状から目を背けつづけてきたのではないだろうか。

高度経済成長期には、現在と違い、個性的な経営者も多く生んだ。松下幸之助氏や盛田昭夫氏などがその代表だろう。けれども、これも戦後の日本的な秩序がいったん壊れたことによってたまたま実力のある人が浮かび上がっただけではないだろうか。

たとえば、ソニーは出井伸之氏のときに沈んだといわれ、最近ようやく部品メーカーとして復活したけど、ちょっとさみしいよねという話があるが、これも、実は初期のソニーがまさに例外的な存在で、出井氏以後のソニーが日本企業としての本来の姿なのかもしれない。

現在も、いわゆる「タテ社会」「タコツボ社会」がふたたび強固になって、新参者は排除される。多くの企業はあいかわらずゼネコン方式(重層下請け構造)で儲けたり、派遣社員を使って人件費を抑えたりと、利益確保に余念がないが、労働者の生産性を著しく低下させ、その結果が将来不安による未婚化・少子化だろう。

昨今でこそ、日本的経営ももう限界ということで、終身雇用や年功序列というものも壊れかけてきているが、それでもメンタリティの根底では、この「タテ社会」「タコツボ社会」の考え方は生きているだろう。

こう考えると、失われた30年はむしろ日本人の実力相応で、しかたのないことだったのではないだろうか。それを高度経済成長という幻を追い続けているのは、もしかしたらないものねだりなのかもしれない。

たしかに、経済成長は必要だ。人道的な面からも。脱成長を励行しておきながら、昼はうなぎ、夜はフレンチを食べながら清貧を説く思想家も世の中にはいるが、そういう意味での脱成長ではなく、日本経済に成長する実力がないのならば、政策がどうなろうとも、個々人としては成長しない前提で生きていくしかないだろう。日本を出ていくという選択肢もふくめ。

逆説的だが、日本の実力を冷静にみられる若い世代が社会の主流になって、はじめて日本経済はすこしだけ復調するのかもしれない。

中沢 良平
大手元請系企業に勤務後、私立小学校に勤務。公立小学校に転身後、早期退職。年金支給開始まで技術系個人事業主として糊口をしのぐ日々。

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中沢 良平
元教員、ギジュツ系個人事業主

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