石破茂氏の「自衛権」の理解への疑問

2020年01月21日 06:01

石破茂氏は、私が憲法改正推進本部で講演した2回の機会において、2回とも質問をしてくれた。2度目には、私の『「国家主権」という思想』まで携えて質問してくれた。学者として、書物の著者として、心より感謝を表明したい素晴らしい読者だ。

Wikipedia

石破氏は政治家としても一流だと思うし、しっかりした考えを持つ真摯な人物だ。だが、だからこそ、どうしても疑問に思うことがある。

石破氏の「国際法における「軍」など」という文章だ。ほとんどの記述は非常にもっともなことなのだが、1点、どうしても理解できないところがある。私自身、何度か書かせていただいたことがある石破氏の思想に対する疑問の中心点だ。

石破氏は、次のように語る。

「『軍』は本来、三権以前の自然的権利である自衛権を体現する。よって、国内法執行組織である行政と同一ではない。ゆえに「文民統制」と言われる、国民主権に依拠した司法・立法・行政による厳格な統制に服さなければならない」

これは完全に木村草太・首都大学東京教授の憲法学説であるが、私は繰り返し木村教授の主張自体に法的根拠がない、と主張している(参照下記拙著)。

残念ながら、本当に非常に残念ながら、石破氏は、この木村説を踏襲している。

法的根拠を示してほしい。

なぜ、どのようにして、「『軍』は本来、三権以前の自然的権利である自衛権を体現する」などといった極度に抽象的な断定を、何の説明も施すことなく、下すことができるのか。なぜ、「軍が三権以前の自然的権利である自衛権を体現する」という命題を、説明もなく、断定することができるのか。

法的根拠を示してほしい。

それどころかまず、「自衛権は自然的権利である」という命題の法的根拠がわからない。国際法における「慣習法」と、憲法学が語る「自然的権利」を混同しているのではないか?という疑問がわき出てくる。

法的根拠を示してほしい。

加えて、「三権以前の自然的権利」とは何なのか、全くわからない。それは「個人の持つ自然権」=「人権」だと言ってくれるのであれば、わかる。しかし、国家が持つ「自衛権」が「三権以前の自然的権利」であるというのは、かなり革命的な議論である。

法的根拠を示してほしい。

そもそも国家に「三権以前の自然的権利」などがあっていいのか?そんなことをしたら、「三権分立」は溶解し、「四権分立」の仕組みを熟考しなければならないではないか?

しかも「自衛権」が「三権以前の自然的権利」であるとしたら、その統制を「行政権」の長でしかない内閣総理大臣が行うのは、矛盾ではないのか?「文民統制」によって「三権以前の自然的権利」は「行政権」の統制に服する。とすれば、結局は、「四権」は「三権」に集約されるのではないのか?「四権」あるのに、統制しているのは「三権の長」だけだというのは、いったいどういうことなのか?理解できない。

国際法上の自衛権は、国連憲章51条に定められた実定法であり、同時に、国連憲章以前に存在してた国際慣習法によっても規定されている。しかしそれは「自衛権は三権以前の自然的権利である」といった断定とは、全く違う。自衛権は、国連憲章という条約と、慣習法だけによって、規定されている。国際法の法源は、条約と慣習法の2つだけだ。

自衛権は、国連憲章と国際慣習法に法的根拠を持ち、両者によって制約されている、国際法規範である。国際法における自然権、などという謎の概念を持ち出す必要もない。

石破氏の「自衛権」の理解が、万が一にも、「芦部信喜『憲法』が法的根拠だ」といった資格試験受験生レベルの回答ではないことを、期待する。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室

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篠田 英朗
東京外国語大学総合国際学研究院教授

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