豪州山火事と成長の限界:注意すべき単純でセンセーショナルな話

池田信夫氏の論考「オーストラリアの山火事の原因は地球温暖化か」を読み、成長の限界に関する以下の文章を思い出しました。

ローマクラブの『成長の限界』が影響力を持ったのは、分析に使われていたモデルが単純で、何となくついていけそうな感じがあったからでした。その後、モデルを精緻にして、『限界を超えて』という報告を出しましたが、反響はあまりありませんでした。モデルが複雑になってわけがわからなくなってしまったことが一つの原因です。
(中略)
しかし、今や数量モデルが政策決定に不可欠になっていることも事実でしょう。それらのモデルは概して大型モデルのため、私たちにはどういう論理でどういう計算が行われているかわかりません。信じるか信じないしかないのです。私たちにできることと言えば、批判的、良心的な研究者のわかりやすいコメントを探して読むことぐらいなのかもしれません。
(松井賢一著『エネルギー問題!』NTT出版株式会社、2010年)

Ninian Reid/flickr

地球温暖化が山火事を頻発させるとする精緻な研究も存在するでしょうし、それは大いに注目されるべきだと思います。一方で、地球温暖化と山火事を安易に結びつける主張が、近ごろよく見られるようになりました。

こうした安直な主張と成長の限界を一緒くたにしては怒られそうですが、双方ともに同様の特徴を持っています。まず、その論理が単純で分かりやすい。しかも、その論理の先に待ち構えている未来が「あちこちで山火事が発生する地球」や「衰退する人類」といったように、破滅的でセンセーショナルであるため影響力が大きい。

同時に、刺激的な結末が導かれる単純すぎる主張やモデルは世に広がっていき、『限界を超えて』のような複雑なモデルは埋もれてしまうだろうという穿った見方もできます。

類似の現象は、自然科学とは無関係に思われる場面でも見られます。ナチス・ドイツについて考察を深めたハンナ・アーレントの著作には「首尾一貫」という言葉が登場しますが、これは先述の単純で分かりやすい主張(モデル)とよく似ています。

その単純な世界観が見られるヒトラーの著書『我が闘争』には、日本の発展の源泉にはアーリア人がいて、アーリア人の影響がなくなれば、日本はたちまち衰退するだろうといった主張や、ユダヤ人は他民族の体内に住む寄生虫であり、法律・経済・文化・政治・教育等の悪化はユダヤ人のせいだとする記述が見られます。

アーリア人は大変に優秀で、ユダヤ人は寄生虫だとする分かりやすい首尾一貫したストーリーです。とりわけ経済において存在感を増すユダヤ人に対し、嫉妬・いらだち・怒り・恐れといった負の感情がはびこっていましたが、そうした感情をうまく刺激した結果が、こんな単純な話が信じられていった一因でしょう。

説得力に欠ける単純な話なのに、ひとたび人々の感情を強く刺激するような仕掛けがあると、たちまち影響力のある主張に様変わりしてしまうという現象は、古今東西で見られます。心を揺さぶられるような何かがあればあるほど、その主張の是非は慎重に決める必要がありそうです。

物江 潤  学習塾代表・著述家
1985年福島県喜多方市生まれ。早大理工学部、東北電力株式会社、松下政経塾を経て明志学習塾を開業。著書に「ネトウヨとパヨク(新潮新書)」、「だから、2020年大学入試改革は失敗する(共栄書房)」など。