権力の賞味期限

かつて権力者はいかに長期にわたりその支配を続けるかに重きを置き、親族を囲い込み、絶対服従を誓う者を側近に置き、絶対体制を築くことが歴史的に国内外を問わず、繰り返して行われてきました。しかし、近年になり、その絶対的権力につきものの剛腕な支配力は廃れつつある手法となり、権力者の賞味期限はどんどん短くなっているように感じます。

権力関係が一番身近にみられるのが家庭ではないかと思います。家父長制度なるものが重視され、長男至上主義は今でも続いているのかもしれませんが、その意味合いは大きく変わってきています。それは長男以外の兄弟姉妹たちの権利の向上と発言力に対し、長男が能力を含め、必ずしも父親の意に沿うとは限らなくなったのであります。つまり、長男の「戦線離脱」であります。そもそも兄弟がいる家庭が少なくなり、子ひとりとなれば親からすればその子供に託せるのか、というシビアな見方もできます。

多くの創業者は自分の子どもに継がせることを前提とはしないと発言するケースは多々見られます。世襲を否定するユニクロの柳井正氏もその一人ですが、お二人の子供が実力を伴って昇進しているため、先々は結果として継ぐのかもしれません。自動車のスズキにおいては長男にバトンを渡したのにいまだに父親である鈴木修氏が前面に出ます。任せられない、これが権力者にとって最大のハードルであるのかもしれません。

私は権力関係をオーケストラに見ることがあります。オーケストラの指揮者としてどれだけ最高のコンダクトを取れるのか、指揮者が指揮台に上がった瞬間、モードは変わります。人は誰でも注目されるその席(いや「責」というべきか)に着いた瞬間、明らかにギアが変わるのであります。そして1時間の交響曲を無事、演奏し終わった瞬間に権力者として最高の満足感に浸ることができます。ちなみにオーケストラという英語の動詞はorchestrateで「統合する」とか「組織化する」といった意味で経営において時たま使う単語であります。

(中国外務省サイトから:編集部)

(中国外務省サイトから:編集部)

さて、権利の賞味期限が近いのではないか、と思うのが米中のトップ二人であります。

まずアメリカ。トランプ大統領はダボス会議に向かう飛行機から「われわれはいまや群を抜いて宇宙一だ!」とツィッターしています。自らの3年間の指揮者としての手腕に惚れているというわけです。確かにトランプ大統領はかつて誰もできなかったことにチャレンジしてきた点において評価される点は大きいのですが、私にはトランプ氏は今がピークに見えるのです。それこそ彼の政治スタイルにこれ以上のサステナビリティを感じられないのです。

習近平氏はどうでしょうか?日経に習国家主席の不機嫌を取り上げた記事があります。これはなかなか注目に値する内容で自己の絶対的体制を築いたものの、ほぼ何ら成果がないばかりか、国内経済問題、香港、台湾問題、アメリカから突き付けられた人権問題、通商問題に国内の政敵からの突き上げなど功績という点ではほぼ全滅状態にあります。「裸の王様」になりつつあるのですが、中国人は権力に固執するため、最後にはく奪されるまで中国のためではなく、自分のために戦うのでしょう。これが中国にとって最大の悲劇のストーリーとなる可能性は大いにあります。

企業の賞味期限などとよくメディアのネタになります。その賞味期限はどんどん短くなってきていて5年とか10年といったレベルです。一方、日本には創業100年以上の会社が多い、とされます。これは日本が比較的激変しなかったことが一つの理由ですが、著名企業は割と少ないものです。上場企業では住友金属鉱山(創業1590年)、養命酒(1602年)、住友林業(1691年)小野薬品(1717年)などがありますが、それこそ養命酒を飲んで末永く着実に事業を進めているような企業さんが多い気がします。

一方、欧米などでは弱肉強食の世界で相手の弱みが少しでもあれば確実にそこを狙うのが常套手段であり、経営者や政治家の賞味期限は5年がいいところではないかという気がしています。とすればアメリカは大統領を2期やるケースが多いといわれますが、私はもう1期4年の時代をトランプ大統領自らが導いてきているように見えるのです。ましてや習近平氏が描く絶対権力などは時代劇のような過去の産物であってそれ自体がばかげている考えています。

昔と違い、現代社会は様々な切り口があるゆえにどれだけ優秀な指導者といえども荒波を切り抜けるのに体力の消耗は激しいのである、ということがあるのではないかと思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年1月24日の記事より転載させていただきました。