日本の人事評価制度の抜本改革

2020年02月14日 14:00

日本の就職がユニークな点の一つに大学を出て就職が決まった際、総合職と一般職という2つの入り口に分けられる点があります。総合職とは将来の幹部候補生ということであります。同様に国家試験でも能力段階に応じて入口の時点で仕分けをする方式を取っています。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

しかし、学校を卒業したての若者の将来のルートを入り口の時点で決める方式は果たして正しいのでしょうか?そろそろこの制度や習慣そのものを抜本的に見直す時期に来ているように感じます。

かつて中国で科挙という制度がありました。優秀な国家を担う人材を集めるための試験でその試験に受かれば家族親戚が将来にわたって安定的に暮らせるという期待感もあり、それに合格することに大きな意味がありました。ところが科挙は知識に頼るところが大きく、庶民感覚からも薄く「ただ読書のみが崇く、それ以外は全て卑しい」(ウィキ)という状態になり、制度が収束していきます。

韓国ではサムスン電子に入社することで家族や親せきが喜ぶという話があります。10年前とはやや様子は変わってきているとは思いますが、それでも天下のサムスンに入ることは家族の間では至上命題であり、そこに向かってひたすら勉強をするのが韓国の子弟であります。ある意味、科挙の話と似ています。

日本でも幹部候補生として採用されるけれどもピラミッド型で上に行けば行くほどポジションが少なくなる椅子取りゲームが当然ながら待ち構えています。椅子を取るには成果主義よりも失敗がないことに重きが置かれます。つまり、冒険をせず、与えられた任務をきちっとこなすことで最上級の評価ではないけれど上位の評価を頂けるようになっています。

これでいいのだろうか、というのが現代の企業の悩めるところなのでしょう。

三菱UFJ銀行が一律の賃上げ方式をやめ、行員ごとの人事評価に基づく評定システムに変えると発表しました。つまり、総合職で入ってもそのあとは確実に格差がついていくしくみです。今までは同期は給与面で入社後何年間かはほとんど差がつかなかったのに途端に明白な差がつき、それは年齢枠をも飛び越えるというわけです。

私がサラリーマンだった頃は年齢の壁は大きく、仕事のポジション上、私が上であっても年齢が上の人からは呼び捨てされていました。体育会的年功序列制度が明白に残っていたわけです。この制度は今や、大きく崩れてきましたが、客観的人事評価が難しく、多くの企業は評価制度の改革に二の足を踏んできたと思います。

もしもAIが普及するのであれば大企業を中心に人事評価はAIが行う時代が来ると思います。人事異動も同様です。マニュアルで人を評価し、動かす時代ではありません。

それと同時に総合職、一般職という仕訳そのもののナンセンスになってくると考えています。社会人経験がない若者は評価のしようがないはずなのに入り口でお前は総合職という「通行手形」をもらう意味がないのです。

以前、私はすべての新入社員は子会社や関連会社に出向させ、そこで1-2年、みっちり現場と仕事を覚え込ませるべきだ、と意見したことがあります。小さい会社であればあるほどその人の仕事ぶりが業績等に反映しやすくなるため、評価もしやすくなるからです。

その仕事振りが優秀な人を少しずつ、本体の方に引き上げていくという方法を取るべきだと思うのです。つまり、仕事ができない人はずっと子会社なり関連会社に出向したままになります。〇〇株式会社という誰でも知っている会社に就職するブランド意識をいったん無くし、仕事そのものを覚えさせることで浮ついた見栄えと通行手形的なプライドを排することが必要であると考えています。

そうなると有名大学を出ることに意味がなくなってくると思います。学業と社業は別、という社会観の形成が必要でしょう。そして業績とはチャレンジすることにある、つまり、何もやらない人は最低の評価になるという評価制度に変えるべきであります。必死に何か考える、そんな企業人が育ってほしいと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年2月14日の記事より転載させていただきました。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

過去の記事

ページの先頭に戻る↑