薩摩Studentがつくった日本

2020年02月15日 11:30

前からずっと行きたかった、いちき串木野市羽島の薩摩英国留学記念館に行くことができた。

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鎖国時代の日本。洋行がばれれば、渡航者はもちろん、藩も厳罰は免れない。だからこそ、山に囲まれた羽島からひっそりと旅立つことになった。辞令書には、「甑島行きを命ず」という念のいれよう。

グラバーが手配した船が羽島沖に来るまで、この地で2か月待ち続けたという。慣れない旅生活で、その間に体調を崩し、命を落とした人もいる。

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洋行のきっかけは、五代友厚の上申書。薩英戦争で捕虜となり、脱走した五代は、薩摩藩からはスパイとして、イギリスからは脱走犯として追われるようになった。しかし、圧倒的な技術力の違いがあるイギリスやヨーロッパから、日本は技術を吸収しなければならない。長崎から命懸けの上申だ。

やがて洋行は藩の政策に。開国派だけでなく、攘夷派も含めて優秀な藩士が選抜された。最年少は長澤鼎13歳。

長い船旅の中で、とりわけ南国の熱帯地でのアイスクリームに驚愕したという。攘夷派も技術力の差、そして、香港やシンガポールなどの世界中の植民地を目の当たりにし、覚悟を決めて、イギリスから貪欲に学んでいく。

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19人の薩摩スチューデントは、鹿児島だけでなく、日本中で活躍する。

森有礼は、初代文部大臣に。
畠山義成は、東京開成学校(後の東京大学)校長に。
町田久成は、初代帝国博物館館長に。
朝倉盛明は、生野銀山の鉱山長に。
村橋久成は、サッポロビールの創設者に。
五代友厚は、大阪経済の立役者に。

最も印象深かったのは、最年少の長澤鼎。(写真1列目中央右。)

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年が若かったので、大学で学ぶことができず、スコットランドのグラバーの実家にホームステイし、地元の中学校に通う。猛勉強の末、ついに英語、ラテン語、数学などで成績優秀者として新聞で表彰されることになる。

しかし、薩摩藩の財政が苦しくなり、留学が打ち切られることになるが、長澤は、つてを頼って、アメリカの農場で働きながら学んでいく。そこでも誰よりも一所懸命に働き、ワイン醸造を学び、やがて農場主から信頼されて、畑を譲り受ける。

カリフォルニアを一大ワイン産地に育て、イギリスやフランスにワインを輸出する。生涯アメリカで暮らしたので日本では無名だったが、レーガン大統領が日米交流の祖として長澤の名前を挙げたことで注目を集める。まさに波乱万丈の人生。

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羽島は、今でも行きづらいからこそ、薩摩Studentの覚悟や力強さを感じる。

船の中で一行が感動したカレーライスやアイスクリームもとても美味しった。

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トビタテ!留学JAPANなども、船で行けばもっといいのかもしれない。
漕ぎ出せ!

薩摩藩英国留学生記念館 – SATSUMA STUDENTS MUSEUM

<井上貴至 プロフィール>


編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2020年2月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。

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