歴史の定説100の嘘と誤解:現場からの視点で

2020年02月29日 06:00

新刊『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む』 (扶桑社新書)という本が明日発売される。世界と日本の歴史において、定説として世の中一般で信じられている見方について、政治や外交のプロとして疑問をなげかけた本である。

歴史でもファンの関心が高いのは、政治・外交史だ。ところが、そういう方面で実際に仕事をした経験からすれば、「定説」にはリアリティがないものが多い。

私はもともとは官僚だが、若い頃から本を書いてきた。デビュー作は、留学直後の32歳のときに出した『フランス式エリート育成法』(中公新書)であって、これは、東京大学のフランス文学の先生に文学部でも参考書として使って頂いたりした。

その後もさまざまな分野について、常に古今東西の政治家や官僚の仕事を現代の同業者の目から論じるという視点で本を書いてきた。

そもそも史書は昔から政治家や官僚が書くことが多かったのである。『史記』を書いた司馬遷も学者でなく官僚だし、『日本書紀』の編集に当たった人々も官僚だ。したがって、それこそが、オーソドックスな歴史の論じ方なのである。

その次に出した本は、『東京「集中」が日本を滅ぼす』(講談社)で、『遷都』(中公新書)と合わせて国土開発とか古今東西における首都のあり方を論じたものであった。

これらは、自分の仕事と関連があるところを論じてきたのだが、そのうちに、自分の仕事と関係ない分野でも、歴史の定説には、現場感覚からいって奇妙なことが多々あることが気になってきた。

そこで、月刊『中央公論』誌上で、邪馬台国や神武天皇についての戦前と戦後の学会の定説についての疑問を論じたのが歴史を本格的に扱いだした始まりである(1889年)。その後、『江戸三百藩 最後の藩主』(光文社新書)などで、江戸時代礼賛と明治維新への過小評価への疑問を論じそれなりに多くの人から賛同を得たし、新書ランキングで当時年間6位というように多くの方に読んでもらったし、それなりに評価もいただいた。

その後、通史を書きたいということで、日本だけでなく、中国、韓国、フランス、アメリカなどの通史をかなりの冊数書かしてもらっている。

さて、今度の本は、世界史・日本史の広い分野で歴史の定説とか常識について、嘘だとか誤解だとか思って書いてきたことを集めて、100テーマ選んでまとめたものである。

それでは、定説が陥っている勘違いの原因は何かというと、「確実な証拠への過度なこだわり」だと思う。 政治・外交・経済の現場では、100%確かな情報だけでなく、噂まで含めて情報を幅広く集め、知力・経験・分析結果、そして職業的な勘まで総動員していくつもの可能性を想定し、最適な政策ミックスを複合的に講じる。

歴史の真実に迫るためにも、同じような視点であるべきだと思うのだが、文献学者も考古学者もたまたま存在する確実な証拠にこだわりすぎである。

首相官邸Facebook

現実の外交の世界で、プーチンが何を考えているか、確実な文書や正式の表明がされたものの以外は参考にしないとかいったら、どうなるだろうか。まっとうな外交はできるはずないのは当然だ。

だから、ある噂を耳にしたら、何人にも当たって裏を取ったり、どのくらいの可能性で本当なのか意見を聞いたりして、その確率を評価し、その確率に相応の扱いで対策を取るのである。

実のところいって、私の印象では外務省もこの「確実な情報」を重視しすぎていると思った。情報化が進んでそれほど極端ではなくなって来たと思うが、かつては、「公電」が軸にあり、そこには、相手国の政府の有力者などに会って聞いた話とか、タイムズとかワシントンポストとか権威あるマスメディアの報道を中心に組み立てられていた。

しかも、公電を打つには大使までのサインが必要だった。だから、不確かだが、心配な情報といったものは本省に届かなかった。

私はジェトロの産業調査員だったが、朝昼夕とさまざまな人と食事をし、会合に出て、マイナーな情報誌なども漁り、それをフィードバックしながら、欧州情勢をウォッチして、けっこう、よく予測も当たった。

もちろん、こうだという決め打ちは禁物で、最有力の予想とは違う可能性も正しく評価し、保険はかけていくのである。

それは、国内政治の予測でもそうで、確実な情報に頼って政局を読めるはずないだろう。そうなのに、どうして、歴史は確実な証拠に頼りすぎるのか。やはり少し違うと思うのだ。ただ、確実な証拠を中心にしないと学者の世界では業績にならないのだろう。

それでは、小説家などの歴史ものはどうか。これは、逆で、オーソドックスな伝統的な歴史観とか、学界の常識とかに従っては、本が売れない。だから奇抜なものになりがちだ。

私が本書で展開している考え方は、実務家として訓練を日本とフランスで受け、現場でどういう発想をしたらよく当たるかという経験を積み、また、物書きとして40年近くやってきた結果としてこんなところでないかと考えた歴史観のうち、定説とか常識と私の考え方は少し違うというものを集大成したものだ。

もちろん、私は実務経験者の考えることが常に正しいとも思わないし、学者にも小説家にもほかの専門家にも歴史を見る上でそれぞれの長所があると思う。歴史について何かの職業の人が「最終審判者」であるはずもない。

それに、歴史の定説や常識はかなり早いスピードで変遷していくものでもある。私の意見もほかの分野の専門家のものもあくまでもひとつの視点と時点からの見方を提供しているだけだとして、お読みいただければ幸いだ。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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