難民と新型肺炎の挑戦を受ける欧州

長谷川 良

先ず、コラムのタイトルで断っておく。難民と新型コロナウイルスは全く関係がない。トルコのエルドアン大統領が欧州側の国境を解放したため、トルコに避難していた数万人のシリア人「難民」が欧州の地を求めてギリシャに再び殺到し出したばかりだ。一方、中国湖北省武漢発の「新型コロナウイルス」は2月に入り、欧州にも広がり、イタリアを筆頭に多くの感染者が出てきた。

難民問題でギリシャ政府の立場を表明するStelios Petsas政府広報官(2020年2月29日、ギリシャ政府公式サイトから)

前者の「難民」と後者の「新型コロナウイルス」は分野が違うから、両者を同じ机の上で論じることは本来できないが、ここではあえて両者の共通点、その問題点を考えながら、21世紀に生きる欧州人が両者の問題でどのような対応を強いられ、どのような影響を受けてきたかを少し考えてみた。当方の呟きに少し耳を傾けて頂きたい。

2015年の夏、中東・北アフリカから100万人以上の難民が欧州に殺到した。その結果、欧州では、その前とは全く異なった政治・社会情勢が生まれてきた。「15年以前」と「15年以後」では欧州政治の主要アジェンダが激変したのだ。

欧州連合(EU)の加盟国間で難民の受け入れ枠問題で対立が生じ、ハンガリーやポーランドなど難民受け入れ拒否国とドイツのメルケル政権の難民歓迎政策とに分裂し、その状況はしばらく続いたが、最終的には前者の難民受け入れ反対組が主導権を握り、後者は国境警備の強化、不法難民の強制送還に応じざるを得なくなっていったことは周知のことだ。

欧州の政界はドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)など反難民、外国人排斥を主張する政党が選挙で飛躍する一方、社会民主党系政党と共に、欧州のキリスト教精神をバックボーンとする保守中道派政党は選挙の度に後退を余儀なくされていった。

国境警備強化、難民受け入れ拒否は欧州諸国にとって避けられない決断だったが、同時に、キリスト教精神に培われてきた欧州国民にとっては決して快い決定ではなかったはずだ。

Wikipedia

ギリシャのレスボス島を思い出してほしい。島民の数より多い難民が殺到し、島の社会秩序は混乱し、衛生上の問題もでてきた。その島民にキリスト教の教えに基づく愛の実践を強要することはどの国の政治家、指導者もできないから、EUはギリシャ政府の政策を支持し、軍を派遣して難民の殺到を防止する以外に何もできない。

もちろん、難民の苦難は更に深まるが、欧州国民にも消すことが出来ない敗北感を与えたはずだ。日頃から誇ってきた欧州の良心が吹っ飛ばされてしまったからだ。

難民の殺到を「外的試練」とすれば、今年に入り欧州にも広がってきた新型コロナウイルスの感染は「内的試練」といえるだろう。難民の殺到は政治、社会問題として外的に対応すべき問題だ。新型コロナウイルスの場合、不可視のウイルス感染からの防止だ。

メディアは連日、新型肺炎の拡大を大きく報じている。多くの欧州人には敵が見えないことから不安がどうしても先行する、難民の殺到で激怒し、反難民を叫んだ欧州人も、新型コロナウイルスの侵入に対しては怒りや激怒ではなく、不安が高まってきた。アジア人フォビアや消毒液、トイレットペーパー、マスクなどの買い占めは目に見えない敵に対する不安への防衛本能に基づいた行動とでもいえるだろう。

グロバリゼーションで世界を飛び歩いてきた欧州国民は旅行制限、外出禁止、隔離などの対応を強いられ、次第に生活環境も変わっていかざるを得ない。コンサートも中止され、サッカー試合は無観客で行われていく。あれもこれも直径100ナノメートル(nm)のウイルスのせいだ。不安は容易に増長し、拡大する。国民経済の失速、不景気の足音が響き出し、人々の不安は一層深まっていく。

象徴的なニュースが伝わってきた。キリスト教会の信者たちは教会入口にある聖水で身を清める慣習があるが、その聖水が新型コロナウイルスの感染源になる恐れがあるとして、教会側が聖水を片付けたというのだ。信者たちは身を清める聖水を失ったのだ。

欧州の国民は難民殺到に直面し、キリスト教の隣人愛より自己保全のエゴが強まり、新型コロナウイルスでは感染を恐れ、買い占めに走りながら、目に見えない敵に焦燥感を感じだした。欧州の人々は今、内外の試練を受け、ダブルパンチをもろに受けたボクサーのように体をのけぞらせている。

そのような閉塞感が長期化すれば、欧州人の精神世界の行き着く先はどこだろうか。べネディクト16世は現代人は虚無主義に陥る危険性があると警告していたことを思い出す。虚無主義は新型コロナウィルスより恐ろしい“死に至る病”だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年3月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。