現場の責任と機関の責任

どのような組織にも、組織である以上は意思決定機関がある。組織とは、重要性に応じて責任が階層化された分業体制のことであって、観念的には、全体の枠組みを規定する少数の最重要事項の決定が組織の頂点にある機関でなされ、それらが順次組織の階層を下りながら具体化されると同時に細分化されたものとして決定されていき、末端の専門部署に至って実行されるわけである。

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しかし、観念的な説明はともかくも、現場を遠く離れた組織の頂点における決定から現実に即した企図が始動するとは思えない。実際の組織の動態は、実践の現場に接した下から企図が始まって、順次に階層を上がりながら総合化されていき、最後に頂点の機関で承認されることで組織の責任へと包摂されているのである。

機関の役割は、自明のこととして意思決定にあるとされているのだろうが、確かに形式的には意思決定だとしても、実質的には単に手続きにすぎないわけである。つまり、組織とは責任の階層化なのであって、組織の頂点にある機関において実質的な議論がなされることは想定されておらず、機関は単に現場の責任を組織の責任に吸収するためにあるのである。

例えば、代表的な機関である企業の取締役会は、まさか議案の実質を検討する場ではない。そうならば、社外から取締役を選任することは不適当である。そこでは、牽制と統制の機能として、経営会議等の執行機関の決定について、社会常識に照らしたときの妥当性や正当性が検証されるにすぎないのである。

取締役会にだされる議案は、経営会議等の執行部門の機関において事実上の決定がなされていて、それが取締役会で否決されることは原則として想定されていないはずだ。しかも、経営会議等でも細かな議論がなされるとは考えられない。それ以前に執行の現場において議論の尽くされた事案だけが経営会議等に上程されているからである。

では、機関の責任とは何か。責任が自己の理性に従った行為の結果を引き受けることだとすれば、それが執行の現場にあることは当然ではないか。しかし、結果の経済的側面は組織に帰属する。逆に、結果の経済的側面を組織に引き受けさせるために、機関決定がなされるのではないのか。故に、損失を組織が負担したときに、組織内部に人事異動等が生じることは、現場責任の総括の問題として、当然なのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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