藤原氏から応仁の乱まで:日本史定説の嘘を糾弾

2020年03月10日 06:00

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歴史の定説100の嘘と誤解:現場からの視点で』(扶桑社新書)で扱ったテーマのうちを3月1日に出したが、今回は奈良時代から応仁の乱までだ。

藤原不比等は巨人なのか

京都学派の上山春平先生が大胆な仮説として言い出してから、藤原不比等が古代の鍵を握るみたいな話が通説になっているが、なんの根拠もない。傍流の中級官僚がそこそこ活躍するようになった裏には橘三千代という女性がいるという話である。

大化の改新で藤原氏は天下を取ったのか

藤原氏は鎌足が大化の改新で活躍してからずっと実力者だったように言う人が多いのがが、たとえば、平安時代初期なんか桓武天皇と嵯峨天皇など126代の天皇のなかでも屈指の独裁者である。そんななかで藤原氏が檜舞台に立ったきっかけを与えたのはこれまた橘氏の娘だった。

皇后陛下は昔から偉かったのか

今でこそ「天皇・皇后両陛下」というが、鎌倉時代から江戸時代まで皇后はいなかったし、称号は陛下でなく殿下だ。それではどうして皇后陛下になったのだろうか。通説は明治体制のもとでの皇室観に左派まで含めてとらわれすぎだ。

日本人が小さな政府が好きな原体験とは

平安・鎌倉・室町時代という日本の中世の本質は何かについて歴史学者は分かりやすく説明してくれないが、奈良時代が大きな政府で効率よく仕事をする時代だったとしたら、中世は何事も簡素にやろうという究極の「小さな政府」の時代だったのだと思う。

平清盛はなぜ源氏より先に天下を取ったのか

平清盛(『天子摂関御影』より)

平家というのはまったく戦争に強いとは思えないのに天下を取った。それば何かについて定説は答えてくれないのだが、私はあえて気配りだけでのし上がった平清盛がある女性の死を機に変身したのだと思う。

なぜ比叡山の僧兵が強かったか誰も教えてくれない

日本史を勉強するとあちこちに延暦寺と園城寺の争いが出てきて最大の政治問題だったらしいことが分かる。また、比叡山の僧兵は都でいちばん強い軍団だったらしい。しかし、どうしてそんな強いのか誰も説明してくれなかった。

平清盛や源頼朝に本籍があるとすればどこ?

本籍というのは明治時代になってできたものだが、もっと前から本籍地らしいものは意識されていた。江戸時代の旗本や藩士の名簿にはどこを本貫とするかが書いてある。ちなみに織田氏は越前だ。それでは源頼朝や平清盛の本貫はどこか?

源頼朝、北条政子(いらすとや)

北条政子の演説は上手だったのか

承久の変で北条政子は関東武士の前で演説したとされている。しかし、そんなのは真っ赤な嘘だ。とはいえ、北条氏が最大実力者だったことには関東武士に好まれる理由があったのだ。

どうして水戸黄門は南朝を正統だといったのか

どうして『大日本史』は南朝を正当と認めたのか?朱子学的な説明がされるがそんなんものはあとでつけたものだ。徳川氏には南朝を正統にしたかったのは、徳川氏が新田氏だったからだというだけのこと。

水戸光圀(いらすとや)

本当は江戸幕府より怖かった室町幕府

室町幕府は江戸幕府より弱く不安定といわれるが、まったくそんなことはなかった。たしかにもめ事は多かったが、現代の広域暴力団だって内部抗争ばかりしているではないか。室町幕府が強かった本当の理由はなにか。

応仁の乱を巡る学者の論争は馬鹿らしい

応仁の乱で歴史学の大先生たちは、足利義視と義尚、細川勝元と山名宗全の対立が原因だと通説がいえば、いや、義視夫人は日野富子の妹だし、山名宗全は勝元の舅だから喧嘩するはずないと現代核家族チックな解釈で挑戦する若いお兄さんもいる。しかし、そんなことはどうでもいいのである。応仁の乱が大事件だったのは戦争の勝ち負けとは関係ない別の理由なのだ。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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