震災から9年:「いざ」というとき避難しない人を動かすコツはあるか?

きょう(3月11日)で東日本大震災から9年が経った。その後に訪れた熊本地震や大型台風襲来などで、日本人の防災意識は高まったように思えるが、実際の行動となると、人は意外に動かないことが報告されている。いざという時、スムーズに避難してもらうためにはどうすればいいのか、新しい理論も含めて模索が続いている。

(アゴラ編集長  新田哲史)

FineGraphics/写真AC

防災意識は向上するも避難せず

震災後にもさんざん指摘されたが、生死の境を大きく分けたのが、津波の来襲を予期して迅速に行動できたかどうかだった。

東北の被災者870人に対し、国の専門調査会が聞き取りした調査(1)では「揺れがおさまった直後にすぐ避難した」人が最多の6割近くを占めたが、約3割は「揺れがおさまった後、すぐには避難せず なんらかの行動を終えて避難した」といい、さらに約1割は「すぐには避難せず、なんらかの行動をしている最中に津波が迫ってきた」と、辛うじて難を逃れていた。

海沿いの街を飲み込んだ東日本大地震(写真は岩手県気仙沼市:OFF/写真AC)

調査会の議論では、ぎりぎりまで動かなかった1割について「安全に避難するには早期避難が重要」と促し、用事を済ませてから避難したと答えた3割についても「この要因を減ずることが被害軽減に結びつく」と厳しく指摘している。そして、この傾向は3.11後も変わりはない。

2016年4月に起きた熊本地震。3日間のうちに2度も震度7の大地震が発生する衝撃だったが、最初の地震で避難しなかった人たちは「建物に被害がなかったから」を理由に挙げた人がもっとも多かった(ちなみに2度目の本震のときに動かなかった最多の理由は「そこにいる方が安全だと思ったから」)(2)。また昨年6月の山形県沖の地震でも3.11の経験から6割以上が避難して防災意識の向上を感じさせた一方で、およそ3割が避難せず、東北大の調査に「大きな津波は来ないと思ったから」と回答している(3)

人はなぜ動かないのか。認定心理士の資格を持ち、人々の避難行動を研究するAIG総合研究所の藤居学主任研究員は、「『避難しましょう』という精神論だけでは人は動かない。なぜなら、人には、ちょっとした異常事態が起こっても大丈夫だろうと判断する『正常性バイアス』と、周りが避難しないから自分も避難しなくていいだろうと判断する『同調バイアス』という2つのバイアスがあるからだ。それをふまえてアプローチしたほうがいい」と指摘する。

小泉進次郎氏も注目の「ナッジ理論」

セイラー氏(Nyman/flickr)

こうしたなかで近年注目を集めているのがナッジ理論だ。「ナッジ(nudge)」とは、ひじで軽く突くことを指す。2017年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授らが、人の心理への働き方を少し工夫し、いかにより望ましい行動に誘導していくかを提唱した。

有名な事例としては男子トイレの小便器に描いたハエの絵のエピソードだ。オランダの空港で以前はトイレの周りが汚れ気味だったところ、ハエの絵を描いてからそこを目掛けて用を足す人が増え、清掃費が8割も削減した。

ナッジ理論は、政治・行政や企業のマーケティングの新しい手法として取り入れる動きが増えており、英国では内閣府が2010年にいち早く導入。納税通知書に同じ地域に住む人の納税率を記載したことで税金を滞納する人が減少した(4)

日本でも2年前に小泉進次郎氏(現環境相)がこの取り組みをブログで紹介し、年金納付率の向上策に活用するなど、行政で取り入れる動きが進む。

避難したくなるような“仕掛け”

そして、地方自治体でもナッジ理論を住民らの避難行動を促す方策として模索する動きも出てきた。その一つが近年豪雨災害に見舞われた広島県だ。県都の広島市では2014年8月に大規模な土砂崩れで住宅街が襲われ77人が死亡。2年前には、歴史的な広域水害となった平成30年7月豪雨で県内1200か所で土石流が発生。関連死17人を含む126人が亡くなった。

広島市安佐南区の土砂災害(写真AC)

県では、避難行動改善による減災・防災を目指し、有識者によるチームを編成。避難行動に至る県民の意識調査を複数回実施した。そして、前日から豪雨が続き、災害も予期されるなかでどのような避難勧告のメッセージであれば、行動に移すかも調べた。

県の担当者と有識者がまとめた資料(5)によると、複数のメッセージのなかには、これまでと同じような「危険が迫った時には、正しく判断して行動できる力をつけ、災害から命を守りましょう」という“啓発色”の強い文言もあれば、「あなたが避難することは人の命を救うことになります」「あなたが避難しないと人の命を危険にさらすことになります」といった、利他的な動機に訴えかける新しい切り口も住民に提示された。調査では、「避難する」と答えた人の割合も、そうした新しい視点の文言の方が多かった。

ナッジを生かした取り組みは今後も増えていきそうだが、前出のAIG総研、藤居氏は、「避難警報が出されても何事もないことが続けば警報が“オオカミ少年”のような扱いをに受けかねない。避難行動にインセンティブを与えることも大事」と指摘する。

たとえば、身近なところでいえば避難訓練も単に公民館に集まって終わりというのではなく、お祭り的な要素を入れた楽しい行事もセットで行うのが考えられる。あるいは3.11のあとにも問題になったハザードマップの津波危険地帯に住宅建築が増えたような街づくりでいえば、危険度が少ないところは固定資産税を減免するといった方策もありそうだ。

災害の歴史と防災教育をつなげる試み

さて、ナッジのような最新理論によるアプローチもあれば、もうひとつは災害の歴史に学ぶことも避難行動を促す上で重要だろう。3.11の後、大津波から難を逃れた三陸地方の住民たちに古くから伝わる言葉が注目された。それが「津波てんでんこ」だ。

「てんでんこ」とは各自という意味で、「大地震が来たらすみやかに各自が高台に逃げなさい」という先人たちのメッセージだ。三陸地方は近代以降、1896年の明治三陸地震大津波など三度の大津波を経験。岩手県釜石市の小中学校では、毎年の避難訓練で「津波てんでんこ」の考えを指導していたことがいざというときに発揮し、全員が助かって「釜石の奇跡」として世界に知られた。

奇跡の一本松(写真AC)

しかし、地縁が薄くなりがちな都市部では語り継ぎも難しいのも確かだ。大阪にある幕末期の安政南海地震の伝承碑などを取材して回ったこともあるAIG総研の玉野絵利奈研究員は「日本は過去の大災害で学んだ教訓を後世に伝えていく気はあるものの、伝え切れていない」と分析する。

そうしたなかで玉野氏が注目しているのが、東北や阪神、中越などの大地震を経験した被災地で進む震災伝承ネットワークの取り組みだ。被災地の遺構のリストアップや伝承施設の整備が進められてきた。

さらに玉野氏は「語り継ぎをする中で、防災教育につなげていくことが重要」と話す。遺構や施設などは、災害を直接経験していない人に、災害をリアルに感じてもらうことのできるツールとして、防災教育に生かせるのではないかと思案する。

震災から9年、たとえ生まれる前の出来事でもあっても「自分ごと化」でき、そして後世にも伝えていくための試行錯誤が続いている。

<出典>
(1)『平成23年東日本大震災における 避難行動等に関する面接調査(住民)分析結果
(2)『平成28年熊本地震における余震情報と避難行動等に係る影響等の把握等に関するアンケート調査及び分析』
(3)『2019年6月18日 山形県沖の地震の避難行動に関する アンケート結果(新潟県村上市山北地区)』
(4)日立総合研究所 白木三沙氏「ナッジ」
(5)社会課題の解決のために行動科学を活用した取組事例 減災・防災分野(避難行動の研究): 広島県の取組