激烈な「対米従属」批判を展開〜“永遠の革命家”白井聡氏の根底にある思考

2020年03月11日 06:00

国家>国民の「対米従属」批判

「安倍首相を牢獄へ!」で注目を集めた京都精華大学・専任講師の白井聡氏は激烈な「対米従属」批判を行う。氏の著作を読むと「対米従属」が驚天動地のように語られる。

Amazon書影より:編集部

確かに日本という「国家」にとって「対米従属」は問題かもしれないが日本「国民」にとっては必ずしもそうではない。

外国に従属して日本国民の平和を確保することも立派な平和政策である。「平和が尊い」と思うなら外国に従属してでも確保すべきである。この境地に達してこそ「平和主義者」である。

もちろんこの場合、従属している外国に対して心理的屈折を伴うが、それは経済・文化の分野を活性化させて緩和・解消すれば良いだけの話である。白井氏から言わせると筆者は「奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷」(1)に当たるのかもしれない。

筆者と白井氏の「対米従属」への理解の違いは「奴隷」意識の違いだろうか。もちろん違う。おそらく「何を守るか」が違うのである。

筆者は平和政策で追求されるのは「国民の平和」であって「国家の平和」ではないと考える。国家は国民のためにあり「国民の平和」を守るために国家がある。

「国民の平和」を守るために外国に従属することが最善ならばそれを選択するのが国家の務めである。およそ平和を論ずるにあたって重要なのは「何を守るか」である。

筆者と異なり白井氏が守りたいのは「国家」とか「日本」といった「巨大なもの」でありそこに国民(個人)は埋もれており、たまに姿をみせても氏が語る「巨大なもの」の付随物に過ぎない。

白井氏の「対米従属」論の根底にあるのは「国家>国民」の思考である。 

白井聡氏の言説は「特定のお客さん向け」

「国家>国民」の思考で激烈な「対米従属」批判は繰り返す白井氏だが、では氏は右派なのだろうか。もちろん違う。では左派なのか。ことはそう単純ではなく氏は著作で「3.11以降、言論人が日本社会の特定の『お客さん』向けの商売に勤しんでいられるような状況にはない。」(2)という現状認識の下「強靭な論理は、政治的立場についてのレッテルを超越するのである。」(3)とし、どうも自分の主張が左右両派を超越していると言いたいようである。

では白井氏は左右両派を超越した「強靭な論理」を展開しているのだろうか。ただ過激な表現を用いて「強靭さ」を演出、いや偽装しているだけではないか。

白井氏は激烈な「対米従属」批判こそすれど氏の著作には「日米同盟の破棄」の一言もない。氏はもちろん改憲派ではないが護憲派でもないようで実にわかりづらい。少なくとも白井氏の主張に具体性はない。氏の著作から「対米従属」から脱するプロセスとかロードマップは出てこない。せいぜい「これが戦後日本の本質だ!(=戦後の国体論)」とか「戦後75年間、皆、誤魔化し続けてきたんだ!(=敗戦否認論)」といった程度である。

官邸サイトより:編集部

白井氏が「格下」とみる左右両派は「憲法9条を改正しよう」とか「在日米軍を撤退させよう」とか具体的な主張をして支持・批判の中にいる。

どちらも多数派を形成できるほど論理が成熟しておらず、そんなところが白井氏からすれば「特定のお客さん向け」の言論に映るのかもしれないが、筆者から言わせれば氏の言論もまた「特定のお客さん向け」である。

白井氏の「お客さん」とはアメリカへの心理的屈折を克服できない者である。

アメリカの圧倒的な「力」を受け入れてそれと上手くつきあう(=親米保守)とか、自分の得意分野でアメリカを克服しようとする(=経済人・文化人)とか、あるいはアメリカの「力」を意識することがない分野に没頭する(=無党派)とかができない者である。

ただただ「アメリカが自分の世界を支配している。大変なことだ!」と悲観したり怒ったりするだけである。

そこに生産性などなく白井氏とその「特定のお客さん」が言葉と感情を消費しているだけである。

白井聡氏は「永遠の革命家」

国家>国民の「対米従属」批判など平和の害でしかなく不要としか言えない。問題はどうしてこんな思考様式で平和が議論されているのかである。それはやはり戦後日本が「国家」を避けてきたからだろう。戦後日本では「国家を語る」こと自体、憚れた。「国家を語る」ことは「右翼」扱い、白眼視されたのである。

だから国家と国民の関係が整理されず、どちらか一方だけを正当化する言論がまかり通った。白井氏の言論もこの影響から脱していない。

そういう意味では革命家・白井聡氏の思考様式は独自性がなく、とても「革命」向きではないと言える。白井氏は「永遠の革命家」で終わるだろう。

白井氏はともかくとして我々日本国民はそろそろ正面から「国家」を語るときが来ているのではないか。国家を正面から語ることで平和はもちろん日米関係も心理的屈折を伴うことなく明瞭に語れるようになるだろう。

注釈

(1)白井聡「国体論 菊と星条旗」297頁 集英社新書 2018年
(2)白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心 文庫版」253頁 講談社+α文庫 2016年
(3)同 上  253-254頁

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑