韓国史の常識のデタラメと虚構を創った真犯人発見

八幡 和郎

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私の時事評論も歴史観は「逆張り」だとときどきいわれる。世間の常識とか流れにあえて逆らうところが多いからだが、たいていは、私は時代が変わっても同じことをいってるだけで、世間がそのときの流行を追い求めていると言うだけである。

ところが、韓国史については、余りにも多くの勘違いをしていたのを認めざるを得ない。保守であろうが戦後史観の人であろうが、あまりにも常識と真実に違いがあるのだ。だから、私も韓国史については、経済産業省で担当課長をしていたにもかかわらず間違った理解を多くしてきた。

ただし、外交官が正しかったわけでもない。ほとんど、日本人すべてが間違っていたことが多いのである。

それについては、私も過去に何冊かの本を書いてきたが、新著である『歴史の定説100の嘘と誤解 世界と日本の常識に挑む 』(扶桑社新書)の中でもエッセンスを書いている。さらに、ここではそのまたエッセンスの紹介だ。ぜひ、こういうことをすべての日本人に知って欲しいのである。

4〜5世紀、三国時代の朝鮮半島(Wikipedia)

任那の半島支配は中国も認めていた

歴史学者の定説では、戦前に任那日本府があって日本が支配していたとされていたのは怪しく、なんの証拠もない。日本と百済の同盟関係はあったが、それも上下関係は不明だとなるし、韓国の学者は百済の方が上位なのだといい、それに媚びる日本人学者もいる。

しかし、倭王武が中国南朝に派遣した使節に対して、中国の皇帝は新羅をはじめ、現在の慶尚南北道、全羅南北道、忠清南北道に対する日本の領有権ないし宗主権を認めているのである。それ以外にも日本支配の証拠は色々ある。

新羅が中国の属国になったのは648年である

高麗や李氏朝鮮が中国の属国だったことは近世・近代のことだから疑う余地はないのだが、日本の歴史学者の通説では、古代からずっとそうだし、日本も中国に対して従属していたことがあるようなことをいいたがる。

しかし、新羅が中国の属国になったのは、648年のことで、それまでは属国ではなかった。まして、日本が李氏朝鮮が属国だったのと同じ意味で従属国だったことなどあるはずないのである。

文明を伝えた帰化人はほとんど漢族

日本は韓国人から文明を伝えられたので感謝しなくてはならないと我々は教えられてきた。しかし、王仁博士も止利仏師も秦氏も中国人であって朝鮮民族ではない、と言うことをどれだけの人が知っているだろうか。彼らの活動に日本人が感謝するとすれば、それは、在日韓国人がアメリカやヨーロッパに行って良いことをしたら日本に感謝しなくてはなるまい。

元寇ではなく元・高麗寇と呼ぶべきだ

元寇のときに半島の人々は元に抵抗したので日本はだいぶ助けられたと教えられる。しかし、高麗はフビライに日本を攻めるように進言し、元寇の主力はむしろ高麗軍だったのだ。

『蒙古襲来絵詞』(Wikipedia)

慶長の役は勝ち戦で有利な条約が結べたはず

慶長の役で日本は苦戦し李舜臣の活躍などで這々の体で日本に帰るのがやっとだったと教えられる。しかし、現実は日本軍は文禄の役の失敗に学び、根拠地をつくり、兵站線を確保し、秀吉が死ななければ翌年の春にはソウルを占領する準備が万端整っていた。明軍でも秀吉が死んだので窮地を脱したという認識だった。

“李氏朝鮮化”してしまった江戸時代の日本

朝鮮遠征の結果、日本は陶磁器の技術を手に入れ、朱子学が導入されて文化水準が上がった教えられるが、極端な女性差別や部落問題が江戸幕府が日本を“李氏朝鮮化”した結果であるとは教えてもらえない。

朝鮮通信使は朝貢使節で対等の外交でない

江戸時代には朝鮮通信使を通じて、善隣友好の対等の外交があったというが、江戸幕府の認識としては一種の朝貢だった。対等の外交だったといって朝鮮通信使を位置づけたのは、近年に政治勢力によって意図的に創られたフィクションである。

狩野安信『朝鮮通信使』(1655年、大英博物館蔵)

日韓併合は遺憾。しかし原因は韓国側にある

伊藤博文(左)と韓国皇太子李垠(Wikipedia)

戦後史観の人たちは日韓併合は言語道断で、韓国側にはなんの落ち度もないといい、保守派は当時はありふれたことだから謝らなくていいという。しかし、近年の欧米の動向では、誰が悪いかどうかは別にしてそうした併合はよくないということになっているから、あまり開き直るのはいかがかと思う。

ただし、日韓併合に至った原因が、韓国側の非常識な外交にあるのを否定する必要はない。

日本統治が書き言葉としての朝鮮語を創った

日本統治は半島の人々から言語を奪ったと言われる。しかし、本格的な朝鮮語の書き言葉は日本統治以前には存在せず、ハングル教育も行われていなかったのである。

歪んだ韓国史観の根源となった真犯人

それでは、ここが本題なのだが、こうした歪んだ韓国史観はどこから来たのか。長らく私も分からなかったのだが、最近は、朝鮮総督府にルーツがあると思っている。朝鮮総督府は日本の利益に沿って朝鮮統治をしたと思われがちだが、大日本帝国政府のなかでは朝鮮側の利益代表だった。

朝鮮総督府旧庁舎(1995年解体、Wikipedia)

その立場で、日本人に対して朝鮮の人々に優越感を持つことなく同じ国民として大事にすべきだという立場であり、その立場から古代にあって日本は半島の人々からお世話になったという歴史観が出てきたようなのである。というのは、古代や中世にあってそういう意識などあった形跡はないのである。

そして、朝鮮総督府が朝鮮の文化を大事にし、保護したこともそれほそれはたいへんなもので、民芸品がその代表だが、朝鮮の人自身が評価していなかった朝鮮文化の価値を発見したのは総督府といっていいかもしれないほどだ。