「帝王学」〜 高杉良氏の小説にも連なる我が経験

2020年03月29日 14:00

帝王学という言葉も久しく耳にしていない気がします。狭義の意味は「特別な地位の跡継ぎに対する幼少時から家督を継承するまでの特別教育を指す」(ウィキ)とありますが、広義の意味では一般企業で次の世代を担う可能性がある人をトップが自分のそばにつけて直接教育するという意味にも使われます。

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高杉良氏が2003年に「ザ ゼネコン」という小説を出しています。その小説はゼネコンのトップに仕える秘書が主役であります。小説上はその秘書は銀行からの出向者となっていますが、実際は私が勤めていたその会社をモデルにしたものであり、私が所属していた秘書室にフォーカスしたものであります。

つまり、銀行出身の秘書は架空ですが、小説の中身は非常によく調べてあり、当時仲間内と、そうだったね、とか、これは知らなかったという事実関係を背景にした小説です。

私の人事は26歳の時点で決まっていました。そのゼネコンのオーナーが私の勤務していた成田のゴルフ場開発地に来られます。事務所に上がる際、「どうぞスリッパに履き替えていただけますか?」とお願いし、脱いだ革靴を揃えて向きをさっと変えたその瞬間を見られたことからスタートします。

このオーナーはワンマンで誰も近づけないカリスマであり、私のような「ペーペー」が「靴を脱いで、スリッパを履いてくれ」というお願いをすること自体、驚愕の事実だったそうです。

ところがオーナーはその現場の責任者に「あいつは木下藤吉郎のようだな。すぐに香港に出せ!」という指示を出します。現場責任者は「あんな若造を今、会社の要である香港に出すのはよろしくありません。私のところで1年ほど預かり、しっかり教育させて頂ければ」と人事部長共々頭を下げ、了解されるのです。私はそんないきさつは1年後まで知りません。

1年後、「教育期間」が終わった私は社長と会長の兼任秘書になります。社長は銀行出身のエリートで物静かな紳士、そしてオーナー会長はあり得ないぐらい厳しい方でした。それぞれ全く違うスタイルを通じて経営の教育をしてくれたと思っています。

秘書として2年半のお勤めの後、私は会長から「社史で最大の不動産開発案件をバンクーバーで行う。社運がかかっている。お前が先陣で行け!」と言われたのであります。

acwork/写真AC:編集部

目をかけてくれ、仕事を教えてくれたという点では今でも感謝に堪えません。秘書になる時、常務の人事部長から「帝王学を身に着けてこい」と言われたのは鮮明な印象として残っています。このゼネコンはのちに倒産し、私はバンクーバーの開発事業を個人買収し、開発事業を完成させます。

その間、会長は病床の身となり、一度もバンクーバーに来ることなく、息を引き取りました。会長の息子さんに訃報の連絡をもらい、真っ先に帰国し、葬儀が行われる前にご報告をすることができたのが何よりでありました。

経営者の目線は我々一般人とはまるで違います。1年間の「教育期間」はオーナーと「教育担当」で直属の部長と私の3人だけの特命班に組み込まれました。そこで全く次元が違う経験と仕事を超濃縮版でやらせてもらうことがなければ私は単に2年半の秘書の任期を全うしただけで終わったのでしょう。

今、企業の後継ぎ問題があちらこちらで噴出しています。KDDIではトップなどにつく「社長付上席補佐」なるポジションを作ったようです。良いことだと思います。

私は1年のうち3分の1ぐらい海外出張で過ごした年もあります。その間、会長や社長と食事を含めずっと一緒にいたのですが、そのような経験をさせてくれる時代でもないし、そんな企業ももうないでしょう。私はそういう意味では実に強運であり、小説のような社会人人生を送っているのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年3月29日の記事より転載させていただきました。

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