この国難の時に党派争いとかしてる場合じゃないでしょ

これは3回続きの記事の2回目です。最初の記事はこちらへ

前回記事では、糸井重里氏の「責めるな、自分のことをしろ」というツイートや、スガシカオ氏の「今一番大切なことは、みんなが一人一人どうすべきかを考えて、一致団結してこの危機を乗り越えることだと思うんだ(後に削除)」というツイートが、「政権批判をするな」とか「怒りを表明するな」という意味に取られて強烈な批判を浴びている話から、「怒っても政権批判もしてもいいけど、陰謀論を混ぜたりして議論を混乱させるのだけはやめよう」という話をしました。

では、どうしたらこの国難に、平時の党派争い的な無駄な罵り合いでなく、「問題そのもの」に一緒に向かっていく議論が可能になるのでしょうか?

渋谷の街頭ビジョンで流れる外出自粛を呼びかける江頭2:50さんの動画(nagi usano/flickr)

2. 無意味に紛糾しているようで、過去になかったフェアな議論ができつつある

最近、厚生労働省などが、ツイッターを通じてマスメディアに向けた「反論」したりすることが増えました。(このツイートなど)

こういうふうに役所が「反論」することを、良くないことだと考える人も多いですが、私はこういう風潮はとても良いことだと考えています。

なぜ厚生労働省がこういうツイートをしなくちゃいけなくなるかというと、マスメディアとSNSに変な陰謀論とか出羽守バイアスが強烈にかかった論調が溢れかえっているからですよね。

●●では国民に☓☓円の給付がすでにあったが、日本じゃマスク2枚しか配られない。国民を救う気がまったくない。やはり人権を大事にする欧米諸国と違ってこのカス政権の中で生きている私達は不幸だ

みたいなのがメチャクチャ溢れかえっていたじゃないですか。

政府が色々と対策をパッケージとして出しても、その中からほんの一部のお肉券とか布マスクとか「ネタとしてバカにできる」話だけを取り上げてえんえんとネット大喜利をしてるのは、ほんとうに「主権者」としての役割を果たす気があるのか?っていう話ですよ。

厚生労働省が反論したことで、その後たとえばNPO法人の人とかが、ちゃんとその「内容」について反論を行っているのを見られるようになりました。

たまたま目についたものだけでも…

NPO法人ほっとプラス理事の藤田孝典氏の記事「安倍首相「日本は世界で最も手厚い休業補償」 緊急時のウソは本当にやめてください」

NPO法人POSSE代表の今野晴貴氏の記事「厚労省が異例の「反論ツイート」を連投! 「補償無き休業ではない」は本当か?」

ちゃんと日本政府はこういう対策をやっている…というのを前提にして、それのどこが足りないのか、外国の事例で参考にできるのはどういうものか、について議論している。両方とも、外国の事例を出すにあたって「実はある制限」を隠して美化したりすることを避けてちゃんと議論しようとするモラルもある。

これですよこれ!こういうのもっとやろう。

最近は日本の当局者もネット世論のことを気にするようになってきて、たとえばこれは東京都の事例ですけど、ネットカフェを閉めるにあたって、そこに「住んで」いる困窮者の行き先を確保するとか、ネット世論が「当局」を突っついて実現させた事例も増えてきました(その後、いわゆる“貧困ビジネス”施設に利用されそうになったところ、またうるさく改善要求をすることでさらに是正されたそうです。NPO的に世の中の貧困を生に見ている人たちの監視とリアルな提言と、それでどんどん変わっていくのが素晴らしいですね)。

そういう「実現」があったら、普段は「敵」同士に思っている人たちの意見が両方ちゃんと実現していきますよね?

「過剰に美化した欧米(あるいは最近だと中国や韓国)の事例を持ってきて日本の当局をクサして慨嘆してみせるナルシシズム」的なことをやってるより、ほんとうの充実感があったはずです。

昔ネットではやってたアスキーアートに、

ちょ、ちょーとまって!!!今○○が何か言ったから静かにして!!

っていうのがあって好きだったんですが、

「ちょ、ちょっと待って!今厚生労働省が何か言ったから静かにして!!」
「ちょ、ちょっと待って!今アベが何か言ったから静かにして!!」

的な感じで、とりあえずまずは聞く。そこに嘘を混ぜない。外国の事例を出す時も、「出羽守バイアス」的にほんの一部の美化した切り取りをするんじゃなくてフェアな批判をするように心がける。

そのうえで、「いやいやまだココが足りねーぞ!」「ていうか遅えんだよさっさとやれ!」なら、バンバン怒りを発していいし、政権批判もしまくっていいはずです。

リアルな現実に基づかない「出羽守バイアス」に溢れたナルシスティックな慨嘆をいくらやっていても、それを聞いているとただ混乱するだけなので、どこかで「黙ってろ」的な圧力が高まってくるのは仕方のないことでしょう。

しかし、ちゃんと「政権がやっていること」に嘘を混ぜずに理解して、その上でバンバン「怒り」や「批判」をぶつけていくなら、それは、今までの日本がなかなか実現できなかった、「オープンに議論をして、マトモな理屈がちゃんと通って変わっていける社会」に、このコロナ危機を契機に変わっていけるチャンスだと言えます。

今なら考えた政策がバンバン実現されるからモチベーション爆上がりしてるっていう官僚さんのツイートも見かけましたし、さっき引用した二人のNPO法人の方の記事も、この危機時なんだからちゃんとフェアな議論をしなくては…という良い意味の緊張感があってとても良かったです(普段の彼らの言動をすべて見ているわけではないですが、過去の記憶よりも何倍もフェアで適切な議論をしている感覚でした)。ネットカフェの困窮者の救済策を提案した人たちも、自分たちの意見がちゃんと実現していったことに興奮している様子でした。

「この感じ」が、もっともっと紛糾していって、危機がもっと危機になって、「同じ”側”にいる頭オカシイ人より、逆側にいると思っていたけど実は頼りになる味方」の存在に気づくようになったら、そこから新しい可能性が生まれます。

アゴラでの文字数限界が来ているので、また3回めの記事は明日掲載されますが、党派争いを超えて本当に「問題そのもの」そこでは「あたらしい意識高い系」という考え方を提唱します。

この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。

倉本圭造 経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
ツイッター