新型コロナ「国難」、安倍政権「ガバナンス崩壊」のままで乗り越えられるのか

郷原 信郎

4月16日、安倍首相は補正予算で、収入が大幅に減った世帯に限定する形で30万円の現金給付を行うことにしていたのを、一転して、全国すべての国民を対象に一律1人あたり10万円の給付を行う方針を明らかにした。

新型コロナウイルス感染症に関して記者会見する安倍首相(写真は17日、官邸サイトより:編集部)

その是非はともかくとして、経緯に重大な問題がある。安倍政権の「ガバナンス崩壊」を示すものと言わざるを得ない。

国民への一律現金給付は、3月末に成立した当初予算の国会審議の過程でも、野党側が強く要求していた。しかし、安倍首相は、それを頑なに拒否し、当初予算を成立させた後に、連立与党の公明党も賛成して、補正予算で打ち出したのが、「対象限定30万円給付」だった。ところが、一度は賛成していた公明党が、一転して、「一律現金給付」を強く要求し、急遽、給付の方針を決めた。

「限定30万円給付」では、様々な生活面での制約を受けて感染対策に協力している国民の救済として、範囲が狭すぎる。「一律現金給付」の方が効果的であることは明らかだ。高額所得者は納税時など事後的な調整を行えばよい。本来、3月末の当初予算の審議の段階で、予算組み換えによって実施すべきだった。安倍首相の誤った判断のために、結果的に、現金給付が大幅に遅延することになった。

今になって、「一律現金給付」の方針を決めるのであれば、なぜ、これまで「一律現金給付」をしようとしなかったのか。その要因として考えられるのは、安倍首相と財務省との関係だ。

赤木氏の遺書の公開で改めて注目された「財務省決裁文書改ざん問題」。その原因を作ったのは、安倍首相の国会での

「私や妻が関係していたということになれば、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」

との発言であり、それを「前代未聞の重大な違法行為」まで犯して安倍首相を守り抜き、「調査報告書」とは凡そ言えないような曖昧な調査報告でごまかしたのが財務省だ。

それ以降、安倍首相が行ってきた、昨年秋の消費増税、今回の感染拡大危機を受けての消費減税の拒否、一律現金給付の拒否などの対応は、明らかに、「財政規律」にこだわる財務省の意向に沿うものだった。今の安倍政権には、財務省の考え方が強く作用していることは間違いない。

では、今回、その財務省の意向に反してまで「一律現金給付」を決定したのはなぜか。

その理由として考えられるのが、最近の安倍首相の対応への批判の高まりだ。

「対象限定30万円給付」が国民に不評だったことに加えて、「全所帯へのマスク2枚給付」で国民が政権の政策に疑問を持ち始めたところに、「自宅でくつろぐ動画」で反感を買うという見事な愚策の連続で国民から激しい批判を浴びた安倍政権は、公明党が政権離脱も辞さない姿勢で臨んできたために、政治的に追い込まれる形で、今になって「一律現金給付」を決定した。

「対象限定30万円給付」に閣議決定で一旦は賛成していた公明党が、一転して、「一律10万円給付」を強く要求し、補正予算の組み換えまで行ったというのは政権としてのガバナンスが全く機能していないということだ。そのような閣内の混乱の結果決定された「一律現金給付」の理由づけとされたのが、「感染危機が全国に拡大した」という状況認識だった。4月6日に、7都道府県としていた改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の対象地域を、突然、全国に拡大したのは、まさに、その「口実作り」のためであることは明らかだ。

ガバナンスに関して重要なことは、ステークホルダーに対して、「重要な事項」が迅速かつ正確に情報開示され、その理解が得られているのかという、「透明性」だ。透明性によって、組織の活動が健全化され、目的を実現することができる。政府のガバナンスが健全に機能するためには、それに関する意思決定が、明確な方針やルールなどに基づいて、ステークホルダーである国民の理解が得られるような形で行われていることが必要だ。

重大な局面にあればあるほど、ガバナンスは組織にとって不可欠であり、その機能不全は、組織の構成員やステークホルダーに重大な不利益を生じさせることになるのだが、安倍政権のガバナンスは、極めて不透明で、信頼性を著しく欠いている。安倍政権下の日本政府の新型コロナウイルス感染対策にも端的に表れている。

安倍政権にとって、新型コロナウイルス感染対策のミッションは、感染から国民の生命を守り、経済への影響など社会的な損失を最小化することである。

中国で感染が始まった後、1月下旬には、中国の休日の「春節」で多数の中国人が日本を訪れていた際の入国制限が不十分だった。それに加え、イタリア等のヨーロッパ各国で感染が急激に拡大しても入国制限が遅れた。その後、安倍首相の突然の「全国の小中学校の休校要請」が、専門家の意見を聞くことなく「思いつき」のように行われた。その効果すら検証できないまま、3月中旬に、政府が、大規模イベント自粛や臨時休校の要請を緩和する方向で検討していることを明らかにし、そう報じられた途端、首都圏等の感染者が急増した。

経緯も不明なまま国立感染研関係者中心の「専門家会議」によって、「PCR検査よりクラスター対策」との方針がとられ、「徹底してPCR検査を行って感染の実態を把握し、感染者を何らかの方法で隔離して感染拡大を防ぐ」という「国際的常識」を無視する形での対応が進められた。

検査数が諸外国と比較して圧倒的に少ないことについて、安倍首相や加藤厚労大臣は、「検査数を増やすように指示しているが増えない原因がわからない」との答弁を繰り返してきた。しかし、検査が増えない根本的な原因は感染者をすべて入院隔離することを前提にする制度の枠組みにあったのであり、それは、政府が構築したシステム自体の問題だ。

徹底した検査による感染の実態把握ができていない以上、専門家会議が強調する「クラスター対策の成果」も客観的に実証されているとは言い難い。大量の検査を迅速に行い、感染拡大を抑制してきたドイツ・韓国等とは異なり、これまでPCR検査数が著しく抑制されてきたために、特に、東京、埼玉などの首都圏では感染の実態すら把握されてこなかった。来週から、「PCR検査センター」が設置されて大幅に検査数が増加することで、ようやく、これまでより感染の実態の把握が進むことになる。

日本時間の16日夜、先進7カ国(G7)首脳によるテレビ会議が開かれ、世界中に感染が広がる新型コロナウイルスへの対応を協議し、各首脳は事態の収束後を見据え、世界の経済活動が安定的に再開するための準備が重要だとの認識で一致したとされるが、日本だけは、感染の実態が把握されず、しかも、これから緊急事態宣言を全国に拡大する、という状況にあるのであり、「経済活動を安定的に再開するための準備」など行いようもない。

16日、G7首脳テレビ会議の中で発言する安倍首相(官邸サイトより:編集部)

このような日本政府の感染症対策の背景にあったのが、中国からの春節のインバウンドによる経済効果頼み、習近平国家主席の来日への配慮、そして安倍首相自らの政治的レガシーのためとしか思えない東京五輪開催へのこだわりだ。

現在の内外の感染拡大の状況に照らせば、来年夏に東京五輪が開催できるなどとは考えられないが、いまだに、開催の方針が変更されていない。このまま準備を進めていくとすれば、「国難」の状況下にある日本にとっても大きな負担となるが、それに対して政権内部からの異論は全く出てこない。このことが安倍政権の新型コロナ感染対策への信頼性を失わせる要素であることは否定できないであろう。

誰が、いかなる根拠に基づいて、意思決定し、その判断が正当であることについて根拠が示され、国民の理解を得るという意味のガバナンスに関して、現在の日本政府には、重大な問題があり、それが、現在の最悪の状況を招いている。まさに、日本政府のガバナンス崩壊の危機に瀕していると言わざるを得ない。

このような安倍政権に、今後、検査の拡大に伴って一層厳しい状況となっていく中での感染拡大対策が適切に行えるとは思えない。

ガバナンスという言葉に関して言えば、最近、企業の世界で注目されたのが、日産自動車とカルロス・ゴーン前会長をめぐる一連の事件だ。

検察の「突然の逮捕」でゴーン会長を追放するクーデターを敢行した日産経営陣だったが、その後の日産は、経営の軸も定まらないガバナンスの崩壊状態にあり、急激な業績悪化に加え、世界的な感染拡大による自動車売上の消滅という更なる危機に見舞われて倒産の危機に瀕している(【日産は、「お人好し」内田社長体制で新型コロナ危機を乗り越えられるのか】)。

安倍首相をトップとする日本政府のガバナンス崩壊と、日産のガバナンス崩壊には、共通の要素がある。それは、ガバナンスにとって不可欠の「透明性」が著しく欠如しているという問題だ。

日産の日本人経営陣は、検察に情報提供し、ゴーン氏の「突然の逮捕」に至ったが、その逮捕事実は「未払いの役員報酬の開示の問題」であったことは、逮捕の5日後まで、明らかになっていなかった。そのような「重大な事実」が明らかにならないまま、臨時取締役での解職決議で「ゴーン体制」は転覆された。

これらが、コーポレート・ガバナンスや会社法を無視した「会長追放クーデター」であったこと、日産の社内調査結果によって、それを正当化する「ゴーン会長の重大な不正や犯罪」が明らかになったものではないことは、拙著【「深層」カルロス・ゴーンとの対話 起訴されれば99%超が有罪となる国で】で詳述している。

そして、その後も、検察当局が捜査中であることを理由に、ゴーン氏が行ったとされた「重大な不正」の具体的な中身は、株主や投資家に対して一切明らかにされなかった。さらに、ゴーン氏への90億円もの役員報酬を、一方的に未払費用として計上し、他方で、損害賠償請求を理由に支払を拒絶して、実際に100億円の損害賠償請求訴訟を提起した。

しかし、いかなる不法行為によって、そのような損害が発生したのか、具体的な中身は一切明らかにされていない(常識的に考えて、100億円もの損害賠償請求の原因となる不法行為があるとは思えない)。

結局のところ、日産は、20年間にわたるゴーン氏中心の経営体制から西川氏を中心とする体制に変更されたにもかかわらず、いまだに、その具体的な理由は全く明らかにされていないし、経営体制の変更に関する重要な事項について、株主・投資家に対する開示が行われていない。

検察当局と「二人三脚」のような関係で協力してきた日産経営陣と同様に、安倍首相も、検察当局との関係を使って説明責任を逃れてきた。安倍首相は、森友問題、「桜を見る会」問題など重大な問題で窮地に追い込まれる度に、検察当局の捜査や処分を持ち出して、問題がないことの言い訳にしてきた。そして、その検察当局を、閣議決定による「検事長定年延長」という違法なやり方で、支配下に収めようとし、それが強い批判を浴びるや、検察庁法改正によって合法化しようとしている。

安倍政権においても、日産においても、ガバナンスが全く機能せず、重要な事実が、構成員やステークホルダーに明らかされることなく、危機的事態に至っていることは紛れもない事実なのである。

日産と同様、安倍首相の下での「ガバナンス崩壊」の危機に直面している日本政府に、「国難」を乗り越えることができるのか、真剣に見極めなければならない局面だと言える。