今後どれだけ必要かわからない新型コロナ対策費、ファイナンスは大丈夫?

2020年04月26日 06:01

トランプ大統領は3月27日に新型コロナ対策第3弾として、一人1200ドルの小切手支給を含む総額約2.2兆ドル(約238兆円)の財政支出を決めた。

日本でも4月20日、国民一人あたり10万円を支給する措置を含む8.8兆円の補正予算が閣議決定された。

2020年度補正予算について議論が行われた政府与党政策懇談会(20日、官邸サイトより:編集部)

これらはその規模と内容において大変思い切った政策ではあるが、これだけで済むと考えている人はいないだろう。すでにトランプ大統領は雇用対策のためにインフラ整備を行う約2兆ドルの財政措置を検討していると伝えられているし、米議会与野党は4月21日に中小企業支援を含む4800億ドル(約52兆円)の対策を実施することで合意した。

一方、日本でも一人10万円支給策以前にあった減収世帯への30万円支給案の復活を野党が提案する構えだし、休業中の店舗の家賃を国が支援する案などが与野党で議論の俎上に上がっている。

今後それぞれの国は新型コロナ対策のために、もっともっとお金を使う必要が出てくることは想像に難くない。しかし、こうした歳出をするための財源の手当ては大丈夫なのだろうか。これから景気が大きく落ち込むと予想されている中で、税収は予算額を大きく下回ると思われ、結局は国債の発行に頼らざるを得ないだろう。

問題は、国債を大量に追加発行してもスムーズに消化できるのか、金利が跳ね上がることはないかということだが、これについては日米ともに中央銀行が政府とタッグを組んで上手くやっていくほかはない。

トランプ大統領とパウエルFRB議長(The White House/flickr:編集部)

アメリカの場合、財務省が発行する証券22.7兆ドルの残高のうち社会保障信託基金等が12.7%、連邦準備制度(Fed)が9.3%、ミューチュアルファンドが9.6%、地方政府とそれらの年金基金が4.4%、そして外国政府が29.9%となっている(米財務省資料、2019年9月末現在)。

新型コロナ対策費がかさむ地方政府は国債を買う余力はないし、大量の解約が発生しているミューチュアルファンドも同様だ。また社会保障信託基金は長年積立金の取り崩しが続いているし、外国政府も世界経済がマイナス成長となる中で、米国国債をさらに買ってくれる状況にない。結局は連邦準備制度(Fed)が、国債追加発行の受け皿とならざるを得ず、実際、3月23日にはFedは市場が安定化するまで無制限に国債等を買い取ることを宣言して実行に移している。

日本について見ても、銀行などの金融機関はマイナス金利の下で、積極的に国債を購入する意欲はなく、ここでも結局日銀が国債の追加発行の受け皿にならざるを得なくなっている。

こうした中央銀行と政府の一体化は、70年代後半以降世界で広まり、90年代に入って加速した中央銀行の政府からの独立性強化の流れに真っ向から反するものだが、今はそんなことを言っていられる状況にない。

しかし、現状のように中央銀行が流通市場で金融機関等から国債を買うといっても実質的に政府から直接購入する態勢だと、政府が新型コロナ対策や景気対策で際限なくお金を使っていくことへの歯止めが無くなる心配はないのだろうか。

かっちゃん/写真AC:編集部

昨今はやりのMMT論者は、自国通貨建ての国債であれば政府は自国通貨で償還すればよいから必要なだけいくら国債を発行しても財政は破綻しないし、インフレになりかけたら増税すればよいというが、世の中そんなに甘くはない。

たしかに、今後経済活動が停滞して、需要の大幅な不振からインフレどころか、むしろひどいデフレになると思われる。一方では中国などの工場の操業度が低下していることによる供給の落ち込みもあるが、それよりも需要の落ち込みの方がはるかに大きいので、当分はインフレの心配はないだろう。

しかし、それでも私はそれでいいのだろうかと問わざるを得ない。

Fedや日銀などの中央銀行が市場から国債を買う際のことを考えてみよう。例えば日銀がみずほ銀行から国債を100億円購入する場合、日銀は購入した100億円の国債を日銀の資産に計上すると同時に日銀にあるみずほ銀行の当座預金口座に100億円を記入する。この日銀当座預金口座の100億円がどこから生まれたかと言えば、英語ではout of thin air(アウト・オヴ・シン・エアー、直訳すると「薄い空気の中から」)と、非常にリアルな表現が使われるが、要するに「何もないところから」生み出されたお金なのだ。

そんないわば狐が人をだます時の木の葉のようなお金でも、それが購入した国債と背中合わせになっているので、人々が国債の発行体(債務者)である国を信頼している限り、そのお金を差し出せば誰にでも受け取ってもらえ(一般的受容性)、モノやサービスを買うことが出来る。

だから国への信頼がなくなると、どんなに政府が法律でそのお金の使用を強制しても木の葉は木の葉のままだ。

歴史を振り返ってみると、フランス革命後の恐怖政治の時代、欧州の反革命諸国軍との戦費などがかさんだジャコバン派政府は、資産の裏付けがほぼゼロに近いアッシニア紙幣と呼ばれる紙幣を大量に発行して戦費をまかなった。しかしこの結果アッシニア紙幣の価値は暴落した(言い換えればハイパー・インフレーションになった)ため、政府はアッシニア紙幣の使用を強制しようとして、1793年9月8日、その受け取りを拒否する者を死刑にすることを宣言し、密告者には報奨金を与えることとした。

しかし、それでも取引には信用のないアッシニア紙幣よりも金貨などの貴金属での支払いが選ばれ、アッシニア紙幣の価値は奈落の底まで落ちていった。

1792年発行400リーヴルのアッシニア(Wikipedia:編集部)

繰り返すが、円やドルのような不換紙幣が狐の木の葉ではなく、お金であるためには誰もがそれを価値あるものと認めることが必要であり、それは人々が国を信頼することに外ならない。そしてそれは国が放漫財政を避けて財政規律を維持すること、そしてそのために国が持つ徴税権を適時適切に行使することによって実現される。

ところがこれは日本について言えば、私は大変悲観的だ。消費税を8%からたった2%引き上げるだけで政治家、マスコミ、業界団体、学者などが大騒ぎする国で、将来徴税権が適時適切に行使できるとは思わない。国民にしても、将来大増税があるから1万円札の価値は変わらないなんて思ってもいないだろう。

ここから先は経済学と言うよりむしろ心理学の領域になると思うが、今の大多数の国民の心の内を覗いて見ることが出来るとすれば、おそらくこんなものが読み取れるのではなかろうか。

「財務省や政府の御用学者は公的債務残高が1000兆円になって大変だ、ハイパー・インフレーションが来るかもしれないとずっと言ってきたが、バブル崩壊以来インフレではなくデフレだったし、これ以上税金を払うのは嫌だし、とりあえずはお店の支払いに1万円札を出したら、1万円として通用するし、その内経済規模が拡大して債務の負担が相対的に軽くなるかもしれないから、今のままで何も問題ない」と思っている―――あるいはそんなことさえ思っていなくて、1万円札はいつまでも1万円の価値があって、ただあと何年かすると表面の顔が福沢諭吉から渋沢栄一に代わるだけと思っているかもしれない。

私には、現在人々がこうした漠然とした根拠のない安心感にひたりきっているように思える。しかし、こうした心情はなにかのきっかけで、すぐにガラッと変わる可能性がある。ちょうど新型コロナウィルス感染拡大防止のために小池都知事がロックダウンと口走ったその晩からスーパーで買占めが起こったように、人の心は移ろいやすい。

何かの拍子に―――たとえば、新型コロナウィルスの感染第2波で、新興国での生産が停滞して安価な部品や製品の輸入が止まったり、中東で戦争が始まって原油価格が1バレル200ドル以上に高止まりしたり、新型コロナショックが金融システムにまで波及して信用不安のために為替レートが急落したりしたときなど――人々の心にインフレの火が着火するかもしれない。そのとき魔法が解けて、お金は木の葉に戻ってしまうだろう。

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有地 浩
人間経済科学研究所 代表パートナー(財務省OB)、1級ファイナンシャルプランニング技能士、CFP®

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