「スペイン風邪」が提示した教訓は:独で注目の歴史調査本

2020年04月26日 11:30

学校で世界史を学ぶ時、近代史では第1次、第2次世界大戦が大きな山場となる。人類史上はじめて、地域紛争から世界全土を巻き込んだ戦争が展開された最初の出来事だったからだ。

ところで、第1次世界大戦よりも多くの犠牲者が出たが、世界史では余り言及されない出来事があった。1918年の「スペイン風邪」だ。その感染病で5000万人以上が亡くなったが、第1次大戦終焉直後という事情も重なって、「スペイン風邪」は世界史では余り知られなくなった。

ラウラ・スピ二イ女史の著書の独語版「1918 Die Welt im Fieber」

なぜだろうか。それが在仏の英国サイエンス・ジャーナリスト、ラウラ・スピニィさん(48)の疑問だった。独週刊誌シュピーゲル(2020年4月11日号)は同女史の著書でベストセラー入りした「1918、インフルエンザ・パンデミック」(「Pale Rider:The Spanish Flue of 1918」)の話を紹介している。中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスに世界が苦戦している時だけに、100年前の「スペイン風邪」についての同女史の著書は非常に参考になる。

女史は「スペイン風邪」の状況を知りたいと考え、「スペイン風邪」で多くの犠牲が出た地域、ニューヨーク市、リオデジャネイロ、インドのグジャラート州などを現地取材している。スペイン風邪から100年余りの年月が経過しているから、もはや生存者はいない。そこで地域の図書館や歴史家たちを訪ねて、情報を収集した。その内容をまとめた本が2017年に英国で出版された。

女史自身も述べているが、出版当時はスペイン風邪といっても余り関心を持つ読者はいなかった。それが2019年末、中国で「第2次世界大戦後、人類への最大の挑戦」といわれる新型コロナウイルス(covid-19)が発生した後、状況は激変した。

多くの人々が1918年に発生した「スペイン風邪」の時の状況に関心を持ち出し、女史の著書はシュピーゲル誌の専門著書ベスト19に入るほど反響を呼んだ。フランスのアルベール・カミュの小説「ペスト」が日本でもベストセラーになったのと同じ現象だろう。感染病に対する関心が高まり、その時代に生きた人々の反応から何かを学ぼうとする人々が増えたわけだ。

第1次世界大戦より多くの人々が亡くなった「スペイン風邪」がなぜ多くの人々の記憶から消えていったのか。それに対する著者の最初の答えは「スペイン風邪」のウイルスが新型コロナと同様、不可視の存在であるという点だ。第1次、第2次大戦の場合、「誰」と戦っているのか、「なぜ」戦っているのかを人々は理解していた。一方、多くの人々に感染し、瞬く間に死亡させた感染病は掴みようのない存在と受け取られたからだ。

スペイン風の犠牲者を搬送するアメリカ赤十字のボランティア(1919年撮影 、英赤十字公式Flickr

著者は、「人が記憶するのは明確な原因や敵が分かっている時だが、敵が不明な時、その戦いは時間の経過と共に記憶から消えていく」という。通常の歴史の話は始めと終わり、起承転結があるが、偶然で無秩序に発生した「スぺイン風邪」のような感染症はそのような筋書きがないから、歴史書に記述されることも少なくなるわけだ。

トランプ米大統領は中国発の新型コロナウイルスを「中国ウイルス」と呼び、マイク・ポンぺオ国務長官は「武漢ウイルス」と呼んで、世界に多くの犠牲者を出しているウイルスの発生地を明確にしている。歴史の中で犠牲となった人々を記憶する上で、「誰が」、「なぜ」を明確にすることが追悼の前提となる、という政治的な配慮と論理がその根底にあるのだろう。

中国共産党政権は武漢発の新型コロナを一刻も早く忘却の彼方に送り、経済活動を再開したいと考えているから、米国の「中国ウイルス」、「武漢ウイルス」という呼称に強く反発する。彼らには感染病の犠牲者を追悼する考えが基本的にないから、事実を隠蔽することに躊躇しない。

「スペイン風邪」と呼ばれているが、インフルエンザがスペインで発生したわけではない。世界各地でさまざまな呼称で呼ばれている。セネガル人では「ブラジル風邪」と呼び、ブラジル人は「ドイツ風邪」と呼んだ。ポーランド人は「ボルシェヴィキ病」と呼び、ペルシャ人(イラン)は英国の仕業と批判し、デンマーク人は特定の国名をつけず「南からきた」と受け取っていた、という有様だ。

「スペイン風邪」が欧州全土に吹き荒れていた時、手を洗うように、マスクを着用するように、部屋を密封しないように、といったキャンペーンが進められた。新型コロナとその点では変わらない。衛生管理の徹底とソーシャルコンタクトの自粛に関するアドバイスだ。

ちなみに、トランプ米大統領の祖父は「スパイン風邪」で亡くなっている。その孫に当たるドナルド・トランプ大統領は第45代大統領に就任したが、新型コロナが発生した直後、危険な感染症とは受け取らず、警戒しなかった。ニューヨーク市などで感染者が広がり、死者が増える段階になって新型コロナが非常に危険な感染病と分かって、その発生地の中国を批判し、「中国ウイルス」という呼称をつけたわけだ。

ちなみに、「トランプ氏がもう少し早い段階で新型コロナの危険性を理解していたら、多くの犠牲者は出なかった」とニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事などは批判している。

いずれにしても、始まりと終わりが不明で、実態が掴めない場合、人はそれらが提示する「意味」や「課題」を見いだせなくなり、落ち着きを失う。新型コロナの場合も同じだろう。

北京政府は「中国ウイルス」と呼ばれることに激怒しているが、新型コロナの「始まり」について、世界はもっと関心を払い、解明する努力を払うべきだろう。2019年から20年にかけて猛威を振るった感染病「新型コロナ」が歴史の中で埋没されないためにも。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年4月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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