PCR検査数の問題がここまで紛糾する理由を整理する

これは連続記事の2回目です。初回記事はこちら

2. ローカルな事情にちゃんと適合した戦略であるほど、見た目は他の国と違っていて当然

世界の国々はそれぞれ国情も持っている医療リソースの種類も全然違うので、「全世界共通」に同じ手法でやらなくちゃ…となると、自分たちが持っている武器の種類と合わなくなってしまうんですね。前回触れた例で言えば、「炊飯器がないとご飯が炊けません」的な話では、今まさに襲いかかってきている課題にちゃんと最大の効果を発揮する対策はできません。

だから、「本当に現場レベルで優秀」であるほど、その対策は「オリジナル」で、他とは違ったものになってくる可能性が高い。

これは、「誰が言ってるかでなく何を言ってるかを見るべき」的な話で、ちゃんと物事自体を深く知って、「なるほど、見かけは随分違うけどスジは通ってますね」という判断ができる人ならいいんですが、世の中あまりそういう感じではないですよね?

他国で広がっているドライブスルー方式のPCR検査(サウスダコタ州公式flickr

「●●なんて言ってるのは日本だけだぞ!」みたいな感じで、「日本の当局が言っている内容」自体を自分のアタマで読み解くのではなく、「ニューヨーク・タイムズにはこう載っていたぞ!」的な権威主義でしか判断できない人が世の中には多いので、「ちゃんと現場レベルで適合したオリジナルの戦略を持っているほど孤立無援になってしまう」んですよ。

「ローカルな事情にちゃんと適合したオリジナルな対策をしている担当部署」が孤立無援になっていくとき、日本では特有の意固地さ…のような振る舞いになってしまうことがよくあります。

それが、事情がわからない世間一般から見ると非常に排他的で自分の考えだけに固執しているように見えてしまい、余計に相互コミュニケーションが困難になり、担当部署はさらに自分たちが今持っているリソースの範囲内だけで全てを解決しようとして混迷してしまうことになる。

その範囲で成功すればいいけれども、その範囲を超えるような大問題になると・・・

3月中旬以降、感染爆発した欧米諸国から大量の帰国者が市中に放たれ、対策班の接触者追跡能力が足りなくなってきて…あとは皆さんご存知の通りです。

そんな時私たちはどうすれば良かったのでしょうか?

3 .PCR検査数を増やす、増やさない…という課題について考えてみる

たとえばPCR検査を増やす増やさない…というような課題について考えてみます。

この問題がなぜ紛糾しているかというと、「PCR検査を増やすべき」という意見を言う人の中に、

・「ちゃんと日本の対策班の考え方がわかった上で改善点を指摘している声」

・「日本の現状は全然わかってないけど、他国がやってるんだからやれとか、検査しないとわかるわけないじゃんとかいった単純な視点で批判している人」

がゴチャゴチャに混じってしまっているからなんですね。

日本の対策の考え方についてのよくある誤解として

・PCR検査数が少ないから、全体像がわかっているはずがない
・無症状者・軽症者を検査していないから、そういうヤツが市中でウロウロして感染しているのを止められるはずがない

というものがあります。

しかし、日本ではまず

・どこかで感染者が出たら全国の病院網とそこに配備されたCTで探知できるはず
・そこで見つけた患者から芋づる式に逆算して接触者に検査していく

…方針で、その「芋づる式」に追っていく過程では症状があろうとなかろうと検査をしているわけです。

たとえば韓国はめっちゃ検査をしてる…というイメージがあるけれども、それでも結局国民全体の1%程度しか検査していません。

それぐらい現状はどこの国でもPCR検査というのは貴重な資源なので、ある程度「対象者を厳選して使う」ようにしないと無駄撃ちになってしまうんですね。その「厳選」のやり方が日本は自分たちが今持っている武器の種類に合わせたオリジナルな手法を取っていて、そうすることで少なくとも33月上旬までは、「無症状な人も含めて」多くの感染者を捕捉して隔離することができていた。

この「接触者追跡」に使うPCR検査能力を、別のところで浪費してしまいたくないために、一時期は医師が必要と認めてもなかなか検査してもらえないといった問題が発生しており、一般の人から見ると「よほどの重傷者以外は一切検査をしていないのではないか」という誤解が広がっているんですね。

しかし、専門家会議の人たちは最初から「検査能力を増やせるものなら増やしてほしい。特に医者が必要と認めたのに検査できない事例が出てきているのは良くない。しかし戦略的に重要な接触者追跡に使う資源が、”安心のための検査”で使い潰されるのは避けたい」というような趣旨の発言を繰り返していました。

自宅待機中に亡くなった事例などが出てきたことで、どこまでが「安心のための検査」で、どこからが「医療者が必要と認める検査」なのかの線引きをやりなおす流れにはなりそうですが、少なくとも後者に関してはスムーズに検査まで行ける体制にしようという合意は、既にできつつあると言えるでしょう。

つまりここまでの話をスライドにまとめると…

よく、検査を増やすと医療崩壊するとかしないとか議論されていますが、正しくは

“ちゃんと配慮した上でやれば”医療崩壊させずにPCR検査を増やすことはできる

なんですよね。

スライドでは多少単純化して話していますが、「PCR検査資源の優先順位が崩壊する」以外にもいろんな「医療崩壊」につながる可能性はあるわけです。

“そのあたりをちゃんと配慮した上で” 動かせるかどうかが重要なんです。

しかし、これだけいろんな「誤解」が世間に溢れ、デマや陰謀論が花盛りの状態で、この「ちゃんと配慮をした上でやれば」を実現できるでしょうか?

「とにかく検査を増やしさえすればいいんだ!」という熱狂が暴走して、ある程度うまく行っていた戦略が全部台無しになってしまう可能性だってあります。

日本は総理大臣にすら強い権限はほとんどないコンセンサス重視国家なので、いざ「今ある組織の縦割り」を離れたところでの広域の協力関係を必要とする方針を立ててしまうと、いろんな人のヨコヤリで果てしなく混乱して、大事な作戦の一貫性が崩壊してしまいがちなんですよね。

そういう状況では、「今まさに前線で戦っている部署」にいる人は警戒心を持って当然ですよね?できるだけ自分たちが確実にコントロールできる範囲だけでなんとかしよう・・・と思ってしまってもおかしくない。

だから、日本において「広域的な連携」が必要な時には、以下にお話しするような「あたらしい意識高い系」のモードで「議論の交通整理」をしっかりやる必要があるんですよ。

次章では、あまりに孤立無援の状況の中で自分たちだけですべてをなんとかしようとして無理を重ねているように見える専門家会議の人たちに、「3月上旬までの神業的チーム」に戻ってもらうために、私たちがどういうサポートをしていく必要があるのかについて述べます。

この記事への感想など、聞かせていただければと思います。私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターに話しかけていただければと。

倉本圭造 経済思想家・経営コンサルタント
公式ウェブサイト
ツイッター