バトンしません宣言と、署名運動について考えたこと

2020年04月30日 21:00

SNSでまた流行っているバトン。私はやらない。その手の投稿も読まない。

2020-04-30 13.53.25

率直に、同調圧力だとか、ややうがった見方だが、フェイクニュースの拡散リスク、情報の操作、貧富の差や家庭環境の望まないかたちでの可視化などが気になっている。

もちろん、バトンにより繋がりを確認したり、意外な面を共有したり、投稿するキッカケになったりと、メリットはあるのだろう。書影も、昔の写真も、腕立ての様子も、それで何かが生まれるのならいいのだけど。ただ、私はバトンをまわされた結果としての投稿よりも、自由な投稿の方が好きだ。だから、私は受け取らないし、渡さないし、そもそもバトン関連の投稿は読んでいない(なんとなく、わからずにいいねを押したことはあるが)。

同じく、この時期に流行る署名運動についても。私は、基本、署名はしないし、発起人にも、賛同者にもならない。過去にピエール瀧関連や、記者会見の件などで発起人、賛同者などに名を連ねたことがあるが、あれはかなりレアケースで。

教育関係者として「施設が使えない分、学費を減らせ」運動や「9月入学に」という運動が起こっていることは認識している。教育に関する費用で苦しむ若者、教育の機会で困っている若者がいることは認識しており、重要な問題だと考えている。

ただ、その問題の認識や、解決策、さらにはそれを実行するスケジュールやスピード感には必ずしも賛同できない部分が多々あり。これを「困っている若者がいる」→「だからいますぐ変えなくてはならない」というのは、必ずしも若者が救われない。学費も入学・卒業時期も長年議論されてきたことであり。これまでの積み上げを理解しなくてはならない。それよりも、今すぐできることに力を入れるべきではないか。
※くれぐれも言うが、経済的困難に陥る学生、学習機会が奪われている現状については問題だと認識している。

この手の話で、美談化される取り組みや、発言にも注意しなくてはならない。気持ちが上がる、感動する、不安が解消されるのも立派な成果ではある。ただ、結果として皆が苦しむ、一部の人しか救われないというのも違う話だ。

なんせ、今、気をつけなくてはならないのは、ポピュリズムの跋扈、ディクテーターの登場、美しく普遍性をもった言葉で手懐けられることなどである。

まあ、昨日拡散してしまった(させてしまった)ドラえもんなども、やや感動ポルノ的なものや、プロパガンダ臭も感じるのだけど。

何が言いたいかというと、要するにバトンやらない、署名もほぼやらないということなのだけど。少なくとも自分には合わない。「つながり」や「社会を変える」のも大事だけど、つながり方、社会の変え方を変えることも大切だ。自分が得意なやり方でやればいい。

昨日は書籍の原稿がはかどった。今日も書く。私なりに、コロナを乗り越えるためであり、社会に貢献するためだ。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年4月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部准教授

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