原発事故とコロナ禍 〜 災厄の中で問われる「つながり」

2020年05月02日 06:00

前回は3月11日の東日本大震災の追悼復興祈念式について書きました。それから1か月ほどで、緊急事態宣言が福島を含む全国にも出され、新型コロナウイルス感染症の深刻さは日増しに高まっていきました。

本年3月で震災から丸9年となり、10年目に入っていく中で、JR常磐線の全線再開記念式典やオリンピックの聖火リレーなどのイベントも予定通りにはいかず、復興の進捗を実感する機会が少なくなってしまったことが残念です。

しかし、弱音を吐いている場合でもなく、コロナの危機対応を全力で行いつつ、復興も並行して前に進めてきていかなければなりません。

原発事故とコロナ禍の共通点は、少なくないと思われます。第一に放射線もウイルスも目に見えないこと、第二に復興・収束に向けた道筋が読みにくいこと、第三に科学に基づき「正しく恐れる」ことが必要であること、第四に教科書に載るような歴史の転換点であることなどです。

そして共通点であり相違点でもあるのは、人との「つながり」であると思っています。東日本大震災は本当につらい経験でしたが、家族・地域住民同士の助け合いや、職業人やボランティアの使命感に基づく働きぶり、または国際社会からの支援など、様々なつながり(絆、ご縁、ソーシャルキャピタル)のありがたさを確認する機会になりました。

今回のコロナ禍においては、人と物理的に近づく(つながる)ことを避けなければならないものの、逆説的に「つながり」が必要とされているように思われます。

こうした「つながり」は、ピンチの時ほど明確になります。例えば、私の課では県と企業さんとの連携を進める仕事をしていますが、課の仲間たちが普段からきめ細かく連絡し、信頼関係を構築してきているので、こういった危機の時に、企業さんも苦しいのにも関わらず様々な提案や支援をしてくださいます。こうしたつながりは、損得ではなく信頼であり、普段の積み重ねこそが危機時にものをいうことを改めて実感しました。

私自身もこのような状況になってしまったからこそ、久しぶりに学生時代の仲間たちと連絡を取り合ったり、海外の友人とオンライン飲み会をしたりする機会があり、改めて「つながり」のありがたさを感じ、仕事への活力を得ることができました。

福島県の飯舘村では、原発事故後の避難で、「今までの生活がいかにありがたかったかが分かった」という住民の声を踏まえて、3月11日を「あたりまえをありがたいと思う日」に制定しています。災厄の中にあると、本当に大事なものに気づくのです。

この4月、飯舘村に新たに義務教育学校が誕生しました(小中一貫の新しい制度を活用した学校です)。この学校の校歌「孤高の星」から、私のお気に入りの2番をご紹介します。(作詞:黛 まどか、作曲:南 こうせつ、編曲:平林 龍)

阿武隈の秋の夜空に、ひとつ星ひときわ煌めく
孤高の星は、離れて光る
そんなふうに私は生きてゆく
さびしい日も、笑う日も、いつも君と、心は共にある
希望の里いいたて、美しい村 飯舘
までいに灯しつづけよう

原発事故の影響で全村避難となった村において、地元に戻って再開した学校の美しい校歌です。作詞された黛まどかさんの「困難に直面して一人になっても、心をつなげ立ち向かっていける星になってほしい」との想いが込められています。

この歌は飯舘村の子どもたちのみならず、コロナにより孤立・分断された世界全体への励ましのようにも聞こえます。原発事故は福島と日本における危機でしたが、コロナ禍は世界全体が当事者で、人類誰しもが少なからず苦しみの中にいます。それでも「孤高の星は、離れて光る」「いつも君と、心は共にある」と言いたいです。

そして「までい」とは、この地域の方言で「丁寧に」です。大量の情報が錯綜する一方で、分からないことは多く、しかしながら重要な判断を速やかに連続して行わなければならない厳しい状況でありますが、この校歌で心落ち着かせ、までいに日々の仕事に取り組んでいきたいと思います。

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高橋 洋平
福島県 企画調整部企画調整課長(文科省から出向中)

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