新型コロナは「悪玉ウイルス」の代表

肉眼では見えないが、確かに存在していると感じるものに、人は不安や恐れを感じやすい。幽霊だけではない。今、世界を席巻している中国湖北省武漢市から発生した新型コロナウイルス(covid-19)も同じだ。不安は助長され、時には不必要な恐れすら抱いてしまう。それは、光が世界を照らす時代まで、人が継承してきた一種の自己防衛的な、原始的な感情に繋がっているのかもしれない。

▲新型コロナウイルス(covid-19)=WHO公式情報特設ページの公式サイトから

ところで、全てに意味があるとするならば、「存在するが、肉眼では認識できない」存在にもそれなりの理由があるはずだ。意味なく、人間の目から姿を消しているわけではないはずだ。

ウイルスは生物と非生物の中間的な微小物体という。なぜならば、他の生物の細胞に侵入しない限り、生きていけない存在だからだ、例えば、新型コロナウイルスは直径100 nm(ナノメートル) から200 nmの存在で、電子顕微鏡を使えば肉眼で見える。電子顕微鏡で撮影されたcovid-19がメディアで頻繁に紹介されてきたから、読者の皆さんもご存じだろう。花冠のようなものをつけ、少々不気味な様相をしている。

ウイルスは細菌とは違い、動物や人間の細胞に入り込み、そこで勢力を拡大していく。約5000万種類のウイルスが存在するが、そのうち数百種類が人間にとって悪玉ウイルスといわれる。covido-19は代表的悪玉ウイルスだ。

特別治安部隊は夜の捜査活動には夜間用カメラを使って犯人を追跡するが、同じように、人間が超小型電子顕微鏡を携帯して外に出かけるならば、空中に浮遊するウイルス、衣服に付着するウイルス、そして人の口から飛び出す無数のウイルスが姿を現すだろう。

卑近な例だが、国会で閣僚に口角泡を飛ばすように激しく追及する野党議員の姿がテレビ番組で映し出される。その野党議員の口からは驚くべき数のウイルスが飛び出しているが、幸い目に見えない。もしウイルスが可視的だったならな、閣僚たちは野党議員の口から飛散するウイルスを避けるため防戦せざるを得なくなるだろう。ゆっくりと野党議員の質問を聞き、それに返答することは出来なくなるだろう。

もし超小型電子顕微鏡付きメガネが眼鏡屋さんに売っていたら買いたいと思う人はいるだろうか。目前の美しい風景を見る前に無数のウイルスが空中に見えたならば、ウイルスを避けるために真っすぐ歩くことさえ難しくなる。

時代が動き、光が闇を凌駕してきた。隠れていた存在も次第にその存在を表してきた。13、14世紀の中世時代のペストは説明は必要ではなく、全ては神の業と主張できたが、1918、19年に猛威を振るったスペイン風邪になると、ウイルスの存在が脚光を浴びだした、ウイルスはもはや現実の脅威と受け取られ、人間を殺害する怖い存在と考えられていった。2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)や今回の新型コロナになれば、「第2次世界大戦後、人類への最大の挑戦」とまで言われ、悪魔のように恐れられてきた。

何時ものように蛇足だが、目に見えないが、存在するものはウイルス以外にも多数存在する、空気もそうだ。人間が命を捨てても守ろうとする「愛」も基本的には目に見えない。しかし、「愛」が存在することは誰から教えてもらわなくても知っている。

もしその「愛」が可視的な存在だったらどうだろうか。ワイルド資本主義社会の現代、巨額の資本を投資して「愛」を買い占めようとする資本家が必ず出てくるだろう。トイレットペーパーの買い占めではない。「愛」の独占だ。幸い、「愛」が依然目に見えないから、人はそれぞれの環境下で自身の「愛」を見つけ出すことができる。「愛」を脳神経学的視点から分析、解明する学者も最近では出てきている。

攻撃的で悪意のあるウイルスの攻撃に悩まされてきた人間は歴史を通じて死闘を繰返してきた。そのプロセスで電子顕微鏡が発明された。その結果、悪意のあるウイルスはもはや忍者のように姿を隠し続けることができなくなったわけだ。

オックスフォード大学元熱帯医学教授で、現在はイギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体「ウェルカム・トラスト」のジェレミー・ファ―ラー所長(Jeremy Farrar)は「不安は助けにならない」と強調し、インフルエンザとは明らかに異なる新型コロナを過度に恐れずに、冷静に感染予防を実施し続けるべきだと述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。