「終戦75年」と「新型コロナ元年」

オーストリアで8日、第2次世界大戦が終結して75年を迎えた。中国の新型コロナウイルスの感染拡大もあって大々的な行事は中止されたが、ファン・デア・ベレン大統領は5日、オーバーエスターライヒ州のマウトハウゼン強制収容所を訊ね、慰霊碑の前に献花し、犠牲者を追悼した。

マウトハウゼン強制収容所を訪ね、慰霊碑の前に献花するファン・デア・ベレン大統領(2020年5月5日、オーストリア連邦大統領府公式サイトから)

オーストリアはナチス・ドイツに併合されて以来、国際法的にはオーストリアという国家は存在しなかったが、アドルフ・ヒトラー自身がオーストリア出身であり、併合後はナチス軍と共に欧州の制覇に加担してきたことは歴史的事実だ。

アドルフ・ヒトラーが率いるナチス政権は1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィ―ンの英雄広場で凱旋演説をした。同広場には約20万人の市民が集まり、ヒトラーの凱旋を大歓迎した(「ヒトラーの『オーストリア併合』80年」2018年1月3日参考)。

オーストリアは戦後、「わが国はナチス軍の最初の犠牲国だった」と宣言し、「戦争犯罪の共犯者だ」という声を退けていった。1943年の「モスクワ宣言」には、「ナチス・ドイツ軍の蛮行は戦争犯罪であり、その責任はドイツ軍の指導者にある」と明記されている。

しかし、戦争犯罪容疑を受けたワルトハイム大統領の過去問題が世界ユダヤ人協会や欧米メディアから激しく追及されていった。欧州諸国もオーストリアに対し外交制裁を実施したこともあって、オーストリアは欧州で孤立化していった。

国際世論の追求を受け続けたワルトハイム氏が再選出馬を断念したこともあって、オーストリアの過去問題は沈静化を迎えた。決定的な転機は元フランツ・フラニツキー首相(任期1986年6月~96年3月)がイスラエルを訪問し、「わが国はナチス軍の戦争犯罪の犠牲国だったが、同時に共犯者だった」と自国の戦争責任を初めて公式の場で認める発言をしたことだ。そこまで到達するのには半世紀余りの月日を費やした。

オーストリア国営放送は終戦75周年を迎え、さまざまな特集をしていたが、その番組で登場した1人の国民が「6年余りの戦争が終わったことで、国民は溢れんばかりの喜びに満ちていた」と率直な発言をしていた。それを聞いた瞬間、当方は「6年余り、オーストリア国民は毎日、戦争の恐怖にさらされ、食糧不足などの困窮下の日々を過ごしてきたのだ……」という思いがこみ上げ、改めて戦争下の国民の苦労が伝わってきた。

欧州は今、中国武漢から発生した新型コロナ感染の拡大に直面し、国民は慣れないマスクを着用し、社会的接触を制限する一方、夏季休暇を楽しむことも半ば諦める国民が増えてきた。新型コロナの感染を恐れて、ストレスから精神的疾患になる国民も出てきた一方、戦後最大の失業者が生まれ、生活苦に悩む国民や経営継続に苦労する会社が増えてきている。

しかし、新型コロナが欧州に侵入してまだ3カ月余りだ。新型コロナ危機が第2次世界大戦のように6年間続くと考えれば、国民は絶望的になるだろう。しかし、75年前、オーストリア国民だけではない。数多くの欧州の国民は戦争の恐怖の中、不安な日々を生きてきたのだ。それを考えると、戦勝国、敗戦国といった区別は吹っ飛び、戦争という異常な状況を6年余り生き延びていった人々の苦労に頭が下がる思いがするのだ。

新型コロナが欧州に侵入し、多くの国民が感染し、犠牲になっていく現状を見なかったなら、当方はオーストリアの終戦75年目という歴史の節目に接しても取り立てた思いは湧かなかったかもしれない。新型コロナで欧州国民が苦しみ、不安の日々を過ごしているからこそ、75年間の国民の苦労が少し伝わってきたのではないか、と考えている。

戦争下の国民と感染症の拡大下の国民では体験する状況、困窮内容は違う。現代の欧州では幸い、食糧不足といった状況は見られない。スーパーに出かければミルクやパンを買うことができる。外出規制が実施された直後、欧州でも食糧買い占めの現象が一時見られたが、時間の経過とともにスーパーで列を作る風景が見られなくなっていった。スーパーに入る時はマスクの着用が義務化されただけだ。

戦争下の国民の状況は戦後生まれの世代には歴史書や教科書を通じてしか分からない。その意味で戦争体験者の証は個人史の色合いが濃いとしても、当時の状況を知ることが出来る。特に、オーストリアの場合、多くのユダヤ人がどのような迫害、弾圧を受け、犠牲となっていったかを強制収容所の生存者の証などを通じて学んできた。その内容は、人間が人間にあのようなむごい事を出来るだろうかと思うほど、残虐だ。

歴史を理解するためには、多くの歴史書も助けとなるが、生存者の証はやはり聞く者、読む者の心を捉える。戦後75年が経過すれば、その生存者の証を生で聞く機会は少なくなる。

新型コロナの危機がいつまで続くか分からないが、同時代に生きている私たちは後の世代の証人となるわけだ。その意味で、新型コロナ危機下で欧州の人々がどのように感じ、考え、死の不安と戦いながら生きてきたかを記録することはやはりメディアの責任だろう。

歴史は書き手の人生観、世界観がどうしても反映するが、「第2次世界大戦後、最大の人類への挑戦」といわれる新型コロナの発生経緯を可能な限り記しておくことはその危機下に生きた者の次の世代への務めだろう。新型コロナ危機元年の2020年にはさまざまな証が生まれている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。