株価の不思議、日本の特性と心理面

ちょっと前までマスク争奪戦が行われてましたが、日本ではそろそろ沈静化したのでしょうか?なぜ、あのような事態になったか、すこし、違ったポジションでみると真の需要に「欲望の需要」が加算されたと考えています。「欲望の需要」とは私の造語ですが、今、既に持っているのにもっと欲しいという人間の心理です。

(編集部)

(編集部)

この心理はマスコミなどの報道や周りの人々の行動規範により更に増幅されます。歩いてドラッグストアに行くのがまどろっこしく、自転車に乗ったり小走りに開店前の店にたどり着き、ゲットできた時、経済学でいう「効用」が高まります。効用とは消費者がモノやサービスを買うことによって得る主観的な満足のことを言います。

ではこの行列を作った人はどれだけいたかといえば全国民ベースからすれば取るに足らない非常に少ない比率だったと思いますが、報道などで大争奪戦が起きているがごとく人々は認識してしまったのです。

少し前のビットコインの時を思い出してみましょう。何百倍にも価値が膨れ上がった仮想通貨ビットコインに若者を中心に取引量が急増、価格は2万ドルという狂乱状態となりかつてのオランダのチューリップ相場と比較されました。なぜ、チューリップ相場かといえば極めて限定的な市場だったのに想定外のマネーが入り込み、相場の需要と供給の不均衡が生じたわけです。

ビットコインもオタクな投資アイテムで大半の方は冷めた目で見ていました。私も当時「通貨に価値はつかない」と申し上げました。それでも街中でショッピングするがごとくクレジットカードでビットコインを購入する若い女性の会社員たちをみて「知らぬが仏」だったわけです。

先日の原油相場がマイナスになった話も同様です。原油相場なんて一般の人は全く知らない世界です。なぜあれがマイナスになったか、といえば一種の事故だったのです。非常に薄い相場の中、ある買い持ちしていた投資筋が限月を迎えるにあたり翌月にロールオーバーできず、原油の現物渡しが迫ってしまいます。困ってしまい、「なんでもいいから持っていけ」の状態になったのです。

あのような事故は普通は起きないのですが、日経はそれから1週間ぐらい後に6月もマイナス取引の危機などという素人臭い記事を発してしまったのです。それよりももっと重要なのはマイナスになったという事態で多くの人は様々な推測を膨らませてしまったということです。この根拠なき推測をベースに人々の投資行動は第一歩を踏み出すのです。

日本の株価はなぜ、アメリカに比べて振幅度が大きいのでしょうか?様々な分析があると思います。が、今日のテーマに沿って言うと「投資家心理のばらつきが少なすぎる」ということかと思います。つまり、投資家のタイプが限定されており、市場参加者の面からみると十分に育っていないのであります。(もっと極端な例は中国の上海市場です。)

投資家のセグメントとは主に機関投資家、外国人、個人投資家がその主たる参加者ですが、日本の個人投資家の投資行動パタンが似ているのです。多分、理由は市場参加者の年齢層、思想、スタンスに相違がないからなのでしょう。(はっきり言えばほぼ単一民族からくる似た価値観ともいえます。)

その好例としてFXのミセスワタナベ(=日本の個人のFX市場参加者の呼称)があると思います。一時期は世界の為替相場取引でも一目置かれたこの日本の個人FXマネーがなぜ、それだけ著名になったかといえば投資行動が似ているからなのです。ある一方向、特に逆張りが大好きだという得意技を駆使するのであります。

私は北米市場で長年取引しています。手持ちで常時50銘柄以上ありますし、ポートフォリオはずっと入れ替えています。その経験でいうと例えば、ある銘柄の決算が非常に悪かったとします。するといったんある程度売られるのですが、必ず買いの手が戻ってくるのです。それは市場参加者が多岐にわたるため、銘柄に対する評価基準が様々だからです。強気もいれば弱気もいる中で強弱感対立が起きるわけです。

ところが東京市場の特に新興銘柄ではボラティリティ(変動幅)が大きく、何日もストップ高やストップ安を続けることもしばしば起きるのは集団心理がそこに働きやすいからなのです。

ある好材料が出ると皆、そこに突っ走ります。例えば先週のバイオ関係のいくつかの銘柄は上げっぱなしで株価が短期間で何倍にも膨れ上がりました。しかし、冒頭申し上げた「効用」をここで思い出してもらい、今日の最後に同じ経済学の「限界効用逓減の法則」を指摘しておきます。

1杯目のビールはうまい、でも5杯、6杯と重ねたら初めのうまさはありません。惰性で飲んでいるからです。これを限界効用逓減の法則と言います。ところが皆で飲んでいるとガンガン飲んでしまうののは「欲望の需要」が周囲によって掻き立てられているからなのです。つまりハイの状態が維持されているわけですが、ある時「宴の終わり」が突然やってくるのです。

私が北米市場でやりやすさを感じるのは慣れのせいもありますが、市場参加者が多岐にわたり、規模も大きく、価格決定因子に理不尽さが少ないということだからかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年5月11日の記事より転載させていただきました。