あぁ、黒川検事長…

こんな結末があったのでしょうか?コロナ禍でさまざまな苦しみの声が伝わる中、唖然とするこの話は「事実は小説より奇なり」そのものであります。

(東京高等検察庁ホームページより:編集部)

(東京高等検察庁ホームページより:編集部)

この一報に接した時、実を申し上げると、私の一番の反応は「それにしても週刊文春はなんでそんなにすごいんだろう」でありました。世の中をひっくり返すようなスクープがよくも文春から次々と出てくるものですが、今回はスクープを求めて日夜駆けずり回っている新聞記者もスクープの対象者、しかも産経と朝日という相対する新聞社の社員と元社員でかつ複数回行われていたことまで暴かれてしまいました。週刊文春はやり過ぎ、スクープ砲を飛ばし過ぎともいわれましたが、今回のネタはメガトン級だと思います。

賭けマージャン。この響きがもう私には昭和のおっさんのイメージしかないんです。私が大学生の頃だった80年代前半、大学の周りから雀荘が消え始めていました。勿論、日本で最も高い不動産価格のエリアにある大学という立地の事情もあるのですが、それ以上に「楽しいことはもっとある」という新しい世界の広がりが生まれてきた頃であります。

マージャンといえばテレビドラマ「ドクターX」でも頻繁に出てくるシーンですが、「古典過ぎるギャップ感」を醸し出す効果を狙っていたのだろうと思います。マージャンは暇つぶしという前提があるのですが、検察No.2の人物がそんなに暇だったのか、という驚きが実はこの報道で二番目に感じたことなのです。

肩書は人格を作るものです。ヒラ社員から課長、部長、役員と上がれば当然、自分の行動と意識の向上が伴わなければなりません。私がかつて秘書勤務になったばかりの時、銀行から転身してきた新社長が「私もこれでパチンコには行けないですよ。東証一部上場会社の社長がパチンコしていたなんておかしいでしょう」と自分を戒めていました。ある意味、役職者は人の模範になるわけで仕事だけではなく、性格や人格、行動規範などあらゆる点が優れていることが要件なのであります。

東大出に人格形成が不十分な方は多いものです。特に役人になった人は自分が権力の中枢にいる、俺が日本を動かしている、1億2千万人が俺の判断を待っているぐらいの勢いです。なんでそんなにいきがるのか、それは組織がそうしたのか、硬直した人事がそういう風土を作ったのか、それとも日本の官僚制度そのものがもはや、時代遅れなのかわかりませんが、とにかく今回の一件は非常に失望いたしました。ばかばかしさを通り超えてもう好きしてくれ、というレベルであります。

問題は処分であります。訓告処分…ですか?違うと思います。日本ではあまりないですが、私は懲罰的処分を行うべきと考えます。つまり、「そこまでやる?」というぐらいの処分です。河井議員夫妻の行方も間もなく判明すると思われる中、安倍首相が辞めるというぐらいのインパクトがあるかもしれません。森法務大臣なんてろくな答弁もできないのですからなんで辞めないのか不思議であります。(人事も三権分立というのでしょうか?)

懲罰的処分、アメリカでは懲罰的損害賠償でよくみられ、1992年の「マクドナルドコーヒー事件」でマクドナルドの2日分のコーヒーの売り上げに相当する金額を懲罰的に課するという判断があまりにも有名でその後、マイクロソフト社でも同様のことがありました。これは社会の緩みに対する戒めであり、マックやマイクロソフトという世に名だたる会社が起こした過ちだからこそ厳しいものにするのだ、というわけです。

今回の黒川氏の過ちは懲罰的処分に該当すべき案件であり、世を冒とくしているとしか思えないです。私がここまでエキセントリックになるのは苦しい政権運営は分かりきっていて幹部はもっと引き締めるべきなのに緩みっぱなしであることに怒りを感じているのです。それゆえに今回の事件は個人的には絶対に許せないのであります。この事件は「たかが賭けマージャン、されれど賭け麻雀」で大きな問題の引き金になると思います。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年5月22日の記事より転載させていただきました。