ブルゴーニュ公国と中世の黄昏(英仏独三国志)

2020年05月24日 06:00

『日本人のための英仏独三国志 ― 世界史の「複雑怪奇なり」が氷解!』の一部を抜粋再編成

私がブルゴーニュ公国の栄光をはじめて意識したのは、社会人になって初めての出張でベルギーへ行ったときだ。先輩に「北のヴェネチア」と呼ばれるブリュージュへ案内され、運河が窓から見える「ブルゴーニュ公(デュック・ド・ブルゴーニュ)」という豪華なレストランでごちそうになった。

ブルージュ市内(Wikipedia)

ワインの名産地にちなんで付けた名前かと思ったが、のちにヨーロッパ中世史を勉強して、ここがブルゴーニュ公国の中心都市のひとつであり、世界史史上最強の皇帝のひとりであるシャルルカン(カール五世・カルロス一世)が生まれたのも、近くのゲント(フランス語ではガン)の町だと知った。

オランダの歴史家ホイジンガーの「中世の秋」は、中世の黄昏に豪奢で荘重でやたら「死」の臭いを感じさせる文化を花開かせたこの公国を舞台にしているし、ブルゴーニュ公の宮廷で催される祝宴での作法は、のちにスペインに持ち込まれ、さらに、ウィーンの宮廷文化として結実した。

初代は、フランス王国ヴァロア朝の王子フィリップ豪胆公(ル・アルディ)だ。ブルゴーニュを親王領(アパナージュ)としてもらったのだが、この制度は、嫡系の男系男子子孫にのみ引き継がれ、断絶したら国王の元に戻るものだった。

フィリップ豪胆公 (Wikipedia)

フィリップは、フランドル伯家のマルグリッドと結婚じて、フランドル、アルトワを手に入れ、さらにその子孫はブリュッセル周辺のブラバントやオランダ、フランシュコンテ(ブルゴーニュ伯領)も獲得して、フランスとドイツの中間地帯に強大な国ができた。

フランドルは、ブリュージュとかゲントの周辺だが、歴史的にはベルギー、オランダ一帯を指すこともある。

三代目のフィリップ善良公(ル・ボン)は名君でフランドル絵画など文化を興隆させたが、英国王に与してジャンヌダルクを火あぶりにした。そして、シャルル突進公(ル・テレメール)は独立国となってフランスから独立したいと戦線を拡大したが、ロレーヌ公やチロル公と連合したスイス軍と交戦中にロレーヌのナンシー付近で戦死した。

シャルルには、マリーという娘しかいなかったので、フランス法に基づきブルゴーニュ公領と北フランスのピカルディはフランス王の元に戻った。しかし、フランドルやフランシュコンテなど神聖ローマ帝国内の領土はマリーが神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアンと結婚したのでハプスブルク家のものになってしまった。マリーはスポーツが大好きな女性で夫とは相思相愛だったが、妊娠中に狩猟に出て事故が原因で死んだ。

しかも、彼らの子のフィリップ美公(父より早く死んだので皇帝にはならなかった)は、スペインを統一したイザベラ女王(カスティリア)とフェルナンド王(アラゴン)の娘であるファナと結婚し、ゲントの城で生まれた男の子は、曾祖父の名を取ってシャルル(シャルル)と名付けられた(1500年)。

イザベルとフェルナンドがグラナダを陥落させてレコンキタ(再征服運動)を完結させ、コロンブスがアメリカ大陸を発見した8年後のことだ。

カール五世 / カルロス一世(Wikipedia)

このシャルルカンは、ドイツではカール五世(在位1519年~56年)、スペインでカルロス一世(在位1516~56年)といわれる、神聖ローマ帝国の皇帝であり、オーストリアなどドイツ内でのハプスブルク家の所領、オランダやベルギー、スペインとその南米などでの植民地、ミラノ、ナポリ、シチリアなどを領地にしていた。

しかし、この日の沈むことなき世界帝国の持ち主は、現実に支配する領地より、曾祖父(父の外祖父)の本拠地だったフランスのブルゴーニュ地方を手に入れて絢爛たる文化の華を咲かせたブルゴーニュ公国を再建することにこだわった。

この全能の君主は、ルターが始めた宗教改革の嵐が吹き荒れた晩年、痛風に悩まされスペインの修道院に引退するが、遺言として、ブルゴーニュを取り戻したらその首都であるディジョンに葬って欲しいと言い残して死んだ。

その後、このハプスブルク帝国は、スペインとオーストリアの両家に分割され、さらに、スペインのハプスブルク家が断絶した後は、母と王妃がスペイン王家出身のルイ14世の孫に引き継がれた。

このややこしい相続関係をめぐるゴタゴタは延々と続き、二度の世界大戦の原因ともなった。ちなみに、ブルゴーニュ公の称号は現在のスペイン王フェリペ六世が保有し、スペインの最高勲章は、ブルゴーニュ公家に因む金羊毛勲章である。

スペイン王の称号は以下のようになる。①はフランス語での公式のもの、②は英語で分解して整理したもの。

①« Sa Majesté catholique Felipe (ou Philippe), roi d’Espagne, de Castille, de León, d’Aragon, des Deux-Siciles, de Jérusalem, de Navarre, de Grenade, de Tolède, de Valence, de Galice, de Majorque, de Minorque, de Séville, de Sardaigne, de Cordoue, de Corse, de Murcie, de Jaén, des Algarves, d’Algésiras, de Gibraltar, des îles Canaries, des Indes orientales et occidentales, de l’Inde et du continent océanien, de la terre ferme et des îles des mers océanes ; archiduc d’Autriche, duc de Bourgogne, de Brabant, de Milan, d’Athènes et de Néopatras ; comte des Flandres, du Tyrol, du Roussillon et de Barcelone ; seigneur de Biscaye et de Molina ; marquis d’Oristan et de Gozianos, etc. ; capitaine-général et chef suprême des Forces armées royales ; souverain grand-maître de l’ordre de la Toison d’or et des ordres dépendants de l’État espagnol. »

② Titles in official use

  • King of Spain
  • King of Castile, of León, of Aragon, of the Two Sicilies (Naples and Sicily), of Jerusalem, of Navarre, of Granada, of Toledo, of Valencia, of Galicia, of Majorca, of Seville, of Sardinia, of Córdoba, of Corsica, of Murcia, of Menorca, of Jaén, of the Algarves, of Algeciras, of Gibralta, of the Canary Islands, of the East Indies and the West Indies and of the Islands and Mainland of the Ocean Sea;
  • Archduke of Austria;
  • Duke of Burgundy, of Brabant, of Milan, of Athens, of Neopatras (New Patras) and of Limburg;
  • Count of Habsburg, of Flanders, of Tyrol, of Roussillon and of Barcelona;
  • Lord of Biscay and of Molina

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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