コロナインフォデミックの戦犯たち②メディアの亡国、罪と罰(1)

2020年05月26日 06:00

前回第1回記事に続く。

コロナ・インフォデミックの戦犯たち①オウンゴールの構図

取り返しがつかないことが起きるときに「魔が差す」とか「アヤ」という条理を超えた何かを示唆する言葉を使う。

まさに、この事件には一つ大きな「アヤ」がある。この登場人物たちの中に「メディア」さえ存在しなければ、たとえあとの3者(「政治家」「専門家」「我々国民」)が揃い踏みしていても、今回のような惨劇は起きなかっただろうということである。

今回特にテレビ朝のワイドショー(典型的には、テレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』が犯罪的にひどかったことはすでに私も何度か指摘した)を中心に、科学的検証も不十分に新型コロナウイルス流行の危機感だけを一面的に煽り続けたことは、心底から視聴者を怯えさせ、パニックに陥れた。

そこにウエブメディア、新聞含めて多くのメディアが無批判に追随してしまったことには目がくらむ思いだが、何より中心的な役割を果たしたのが平日毎朝のテレビ情報番組であったことは紛れもない事実だ。(武田邦彦氏などは、傷害罪の適応やテレビ局を指定暴力団とすることを提言しているほどである。)

とにかくべらぼうな露出量

コミュニケーションの最も基本的な原理に「接触量に比例して、認知、好感度は上がる」というものがある。かつてサラ金全盛時代のテレビに女性ダンサー達がただ音楽に合わせて踊るという、創意も工夫もないCMが大量に流されていた時代があったが、そんな広告でさえも認知度は極めて高く好感度を獲得していた。

実際に嫌われランキング常連タレントもテレビに出続けていると一周まわって好感度上位にくる様な例も珍しくはない。テレビという装置を通してであれば犬でもネコでもひたすら画面に露出させれば視聴者は好きになってしまうのである。

先述のテレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」の例で言えば、月曜日から金曜日の毎日115分、全国26局ネットで放送されてる。全国4800万世帯と言われるテレビ視聴可能世帯のかなりの割合をカバー、つまり全国津々浦々、老若男女に視聴されるということである。特に平日この時間帯で言えば、学生、会社員などが家を出たあとの時間帯になっており、主な視聴者層は、F2, F3(女性35歳以上)、特にHW(主婦層)である。

テレビ朝日「モーニングショー」より

この露出量がどれほどのものかと言えば、平日毎日2時間枠の番組であるがゆえに、とんでもない量になってしまう。例えば広告費換算してみると一日5億円、一週間25億円、一か月108億円程度と概算が可能である。GRP(Gross Rating Point:延べ視聴率)という概念で言えば、一日3600GRP、一週間1万8000GRP、一か月7万8000GRPとなる。

ちなみに全国発売肝いりの大型新商品で認知0の状態から80%~90%を取ろうというときに目安にされるGRPが3000GRPであるが、今時はなかなか一つの商品にそれほど大きな予算をかけられなくてクライアント企業は苦労している。

(あくまでコミュニケーション量の大きさを概観するため、もし毎日番組枠のうち90分をすべて15秒CMに置き替えたらという仮定に基づくシュミレーションであることにはご注意いただきたい。実際の広告販売額はCMとして販売されている枠にのみ対して実施されるのでこの金額より当然低くなる。広告費換算については実務的精度であれば実勢の取引価格を使うが、相対取引でもあり概算値を使用。視聴率も同様世帯視聴率10%を使用。)

参照:CM認知率の上限値は何パーセントか?~「テレビコマーシャルカルテ」より(VR Digest)

立派な新製品をいきなり全国区にできるほど巨大な露出量を一番組が一日で持っているわけだから、影響を受けないわけはない。ましてそれが数か月も続くのであればとんでもない影響力をもつことは明らかだ。

ネットとテレビ、特性の違い

この点。2019年度広告費ベースでネットがテレビを抜いた象徴的な年となった。

参照:ネット広告、初のテレビ超え 19年、電通調査 「業界の転換点」(SankeiBiz)

かつてメディアの王者テレビの質量両面での圧倒的な優位性が崩れつつあることはもはや明らかであって、かつて強みであった広域にあまねく届く電波の特性も、ただ受信にアンテナが必要なだけというデメリットになり得る状況である。ネットを中心にメディア全体のポジショニングが再構成される蓋然性は極めて高く、テレビ局が生き残っていくとすれば何らかネット移行が成功する範囲となるだろう。

だが、”さはさりながら”なのである。現時点コンテンツ単位で言えばやはりテレビ一番組の影響力は主要なネットメディアをはるかにしのいでいる。

つまり現時点でネットがテレビを抜いたと言っても数限りなくあるコンテンツを合計しての話である。メディアを使ったマーケティングをするときにSOV(シェアオブボイス)いう考え方があり、ある領域での露出量のシェアを言う。

何分ネットメディアの分母はビッグバンで拡大中の宇宙のようなものであり、その中で際だった存在となる銀河や恒星もいずれは出来ていくだろうが、まとまったSOVをとることは至難のわざである。一方の地上波テレビはテレビ東京まで入れても主要民放5系列であって、やはりテレビ受像機を通して視聴されるコンテンツのSOVが高いこともまた紛れもない事実なのである。

これを洗脳と呼ばずして何と呼ぶのか

もちろんテレビ局であるから、毎日2時間の情報を提供することそれ自体は正当な業務と言えよう。だが巷にも異論があることがすでに明らかに指摘されているにも関わらず、同じMC、同じレギュラーコメンテーター、同じ”専門家”でこれほどのボリュームの公共電波を独占しているのはあまりにも異常であり、実際にマントラのように唱えられる毎朝ワンサイドの放送内容で、俗に「コロナ脳」と揶揄されるような恐怖のオーバーシュートを引き起こした責任はあまりにも重い。

小林よしのり氏があまりにも狂信的な論調をマントラ風に風刺した記事は話題となった)

「論」はあって良いのだ。だが、すべての事象に対して異論、対論を排除し、制作サイドが語りたい内容だけで構成することでこんなバカバカしいことになる。(同じテレビ朝日で問題となったことはまさに象徴的であった。)

取材を受けた医師が映像編集に抗議し、後日番組が謝罪したテレビ朝日「グッド!モーニング」

放送法第4条には「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかに すること。」とあるが、公然と無視されており、これだけ巨大な影響力ある公共の電波が、それほどジャーナリスティックな洞察力が高いとは思えない限られた人々に独占されているのである。だから、こんな恣意的な編集がまかり通る。

事件以降たまにアリバイ作りのように、渋々非常に小さなスペースで取ってつけたように別見解が紹介されたりもするが、番組の偏狭な主義主張(?)の中ではかき消されてしまう。

具体的に振り返れば、せめて日本と欧米での感染状況の違いが明らかになりつつあった3月の時点で、その点に触れる議論が必要だっただろうし、緊急事態宣言に至る過程では、膨大すぎる社会的コストに対する検証が不可欠だった。

とにかく、自分たちが火事に灯油をぶちまけておいて、ようやく鎮火しつつある現場で今さらながらに延焼の酷さや亡くなった人、焼け出された人の惨状を嘆くようなそぶりの直近の放送を見ているとその無反省ぶりは、控えめに言ってもグロテスクである。

それにしても何より不思議なのが、動機なのである。なぜここまで狂ったように煽り続けたのか。ということである。かつて情報番組と言え政治経済や社会的な事象を扱う場合には対論を含めた抑制的なトーンをテレビ局とて取っていたはずだし、今でもプライムタイムのニュースや情報番組でここまで偏った論調は採用していない。

あまりにも不可解ではあるが、その動機と背景を次回検証していきたい。

(私の個人サイト「たんさんタワー」で、メディア接触についての記事を書いていますので、もしよろしければ合わせてお読みください。

広告は今も昔も「脳」の争奪戦 でもそこが難しく面白い』)

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