若者たちの苦悩

京都アニメーションスタジオでの放火殺人事件犯が逮捕されました。改めてこの事件が思い起こされます。この事件を起こした犯人の背景に着目すると派遣社員やアルバイトをして過ごしたもののリーマンショックで職をなくし、生活の基盤を失い、窃盗で逮捕されています。その後も近所迷惑な騒音トラブルを起こし、「こっちも余裕ねぇんだ」と述べたとあります。

(写真AC:編集部)

(写真AC:編集部)

「余裕がない」という言葉に内包される意味とは社会のレールに乗りそこなったことであり、若者間に潜在的格差が生じているとみています。

かつての人生はシンプルでありました。就職すれば会社が一生面倒を見てくれる終身雇用だったからです。仕事ができなくても皆で盛り立て、チームでカバーすれば成果は上がるという発想です。稲盛和夫氏のアメーバ方式は日本的経営として賞賛されていますが、それは昔の村落における共同体作業でも同じでありました。その脈々と続いたチームワークがコンピューターやITが進化するに従い、0か1の判断を求められるようになりました。日本的なあいまい(ファジー)が消えていったのです。

会社は個人の能力をより重視するようになり、リーマンショックのような激変が生じると企業は従業員を解雇するようになります。大量の人が生活基盤を一気に失うシナリオは日本経済ではあまりなかったのです。

バブル経済がはじけ、90年代にも数多くの企業が倒産しました。ただその倒産劇の裏側では人事部が必死に従業員の再就職をあっせんするため、はめ込み先を探してくれました。当時、その作業をした複数の企業の人たちを知っていますが、「あぁ、ようやく終わったと思ったら数千人いた社員が数人になっていた」という死闘を経たその話の迫力は小説以上のものがありました。

今、会社は面倒をみません。今回のコロナでも多くの人が放り出されたでしょう。これから更に増えるはずですが、その人たちは突然訪れた宣告になすすべがないのです。それでも器用に自分に言い聞かせながら新しい道を歩める人はよいでしょう。しかし、この京アニの犯人のように自虐的になる人は珍しくないのです。

日経に恐ろしい記事があります。「2019年11月に日本財団が発表した『18歳意識調査』に関して米英や中韓など9カ国の17~19歳に社会や国に対する意識を聞いたところ、日本は『将来の夢を持っている』『自分で国や社会を変えられると思う』など多くの項目の数字が最下位だった」とあります。

数字を見ると愕然とするものがあります。「将来の夢がある」は日本人60.1%と他国に比べ30%ポイントも低く、「自分で国や社会を変えられると思う」が18.3%で他国に比べ概ね40%ポイント下、「自分の国に解決したい社会課題がある」については46.4%で他国と比較し30%ポイント低くなっています。これは尋常ではありません。統計的資料を作る場合、異常値としてはじかれるレベルの水準なのです。

「テラスハウス」の番組で女子プロレスラーの木村さんがSNS上で炎上、不慮の死を遂げました。木村さんが番組上でキレたこととその大人げない行動への非難が今回の問題でありますが、過敏な社会と弱い行動意識が共存する社会の導火線に火をつけたのだろうと思います。これは今の若者の苦悩そのものだとも思うのです。

京アニのケースは犯罪で警察マターになったことで公権力の下、一定の制御が効いていますが、テラスハウスの場合、そもそも番組が若者のエキストリームさとそれをさらに煽る番組構成が火に油を注ぐようなものだったとも思っています。

このような中、学校や会社がオンライン化になったらどうなるのでしょうか?弾き飛ばされる若者は急増するでしょう。当然、社会不和が起きるし、自虐的事件は後を絶たなくなります。最近の社会面の事件の陰湿さはかつての犯罪の体質と違うように感じます。逮捕される若者の顔は極悪人ではなく、そのあたりにいる普通の人です。

若者の心の問題は深刻さを増しています。どう救えるのか、大きな話題にならないですが、まずは社会がその潜在的な問題意識を認識すべきなのでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年5月28日の記事より転載させていただきました。