世界の「帝王」の称号と「爵位」についての基礎知識

八幡 和郎

西洋史・東洋史・日本史をバランス良く学ぶべし

このところ世界史についての本を重点的に出している。ここ半年に出した本、出す予定の本を並べてみると、①『365日でわかる世界史 ― 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(清談社)②『日本人のための英仏独三国志 ― 世界史の「複雑怪奇なり」が氷解! 』(さくら舎)③『歴史の定説100の嘘と誤解』 (扶桑社新書)である。

世界史の本は日本史ほど売れないので、なかなか出版社も出してくれないのだが、私が本来、得意なのは世界史、なかんずく西洋史である。日本史の議論をするにしても、いわゆる日本史研究者が強いのは古代史とか中世史とか狭い分野だし、そこでの知識で敵うはずもないが、私は何でもやるし、歴史の現場で実務をやってきた、さらに、とくに西洋史も東洋史も本を書く程度には詳しいのがうりなのだから、あらためて本来の得意分野である西洋史の知識を磨こうと思ったからだ。

①は各国史が半分強で、あとは総論的知識、分野別史から主として成っていて、非常にコスパのいい読む事典で、物書きの人で基礎資料のひとつに加えたとかいう人もいるし、外務省の高官から外交官にとっても基礎知識として便利と言っていただいている。

②は私が自分で書きたかった本だ。本を書くといっても多くは出版社からの注文である。しかし、どうしても自分で書きたい本がある。これはそういういうもののひとつで、時間をかけて採算度外視で書いたもので、その意味で読んで欲しい本だ。

③これまで書いた本のエッセンスである。ひとつのテーマ2ページだから「さわりだけで物足りない」とか「断定しすぎるとかいう」人もいるが2ページでは仕方ない。しかし、読みやすく頭に入りやすいようにできているから、興味があればそれに関する別の拙著を読んでいただきたいという性格の本だ。

そして、さらに、執筆中が⑤『アメリカ大統領史100の真実と嘘』(扶桑社新書)で、これは③のスタイルでアメリカ史を書いたもの。8月刊行の予定。ちなみに世界史とは関係ないが、6月には2冊の新刊。

日本人がコロナ戦争の勝者となる条件』(ワニブックス)は、アゴラでも書いてきたようなことをリバイスしてまとめたが、後ろ向きでなく日本と日本人はどうするという本。また、共著だが『皇位継承 ― 論点整理と提言』(展転社)は、稲田朋美氏が主催する「女性議員飛躍の会」がまとめたもので、私のほか所功、百地章、松浦光、櫻井よしこ、高森明勅、大河内茂太らが書いている。

君主の称号には秘められた歴史がある

前置きが長くなったが、本日のテーマは、君主とか貴族の称号のお話である。私の世界史の本の特徴に、できるだけ、原語をカタカナ書きで示していることが多いことがある(英語などですませることもあるが)。なぜなら、漢語に訳してしまうと意味が不正確になることがある。さらに、少し詳しい人は原語がわからない二種類の意味があると思う人もいるある。それではなぜカナかというと、英語以外、とくに第二外国語などで学習した以外の言葉出されても読み方も分からないからだ。カナで出しておけば、その言葉を知っている人は容易に原語は分かる。

そんななかで、本日、扱いたいのは、君主と貴族の称号である。(『365日でわかる世界史 ― 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(清談社)の記述を大幅に簡略化して紹介)

エリザベス女王(Wikipedia)

世界でいま君主国は45あるとされている。ただし、そのうち、16はイギリス連邦の構成国で、エリザベス女王を元首としている国だから、その重複をはずせば君主は30人ということになる。

現在、世界の君主国は45といったが、国王(キング)が一番多く、エリザベス女王を君主とする英連邦諸国、オランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ブータン、タイ、カンボジア、レソト、スワラジランド、トンガ、バーレーンがそうだ。

そのほかでは、ルクセンブルクが大公(グラン・デューク)、リヒテンシュタインが侯(ドイツ語ではフュルスト。英語では該当する語がないのでプリンス)、モナコが公(プリンス)だ。サモア独立国の場合は国家元首(ヘッド・オブ・ステイト)が肩書きだ。

国の名前とする場合には、帝国はエンパイア(フランス語 アンピール)、王国はキングダム(フランス語 ロワヨーム)、大公国はグランド・ダッチー(フランス語 グラン・デュシー)、プリンシパリティ(フランス語 プランシポテ)となる。

皇帝(エンペラー)を名乗る君主は、現在では日本の天皇だけだ。戦後のある時期には、シバの女王から出ているといわれたエチオピアの皇帝と、場合によってはイランのシャーもこれに加えて、世界で3人が最後のエンペラーと呼ばれていた。エチオピアの皇帝は1974年、イランのシャーも1979年2月に追放された。そののち、中央アフリカのボカサという大統領が皇帝を名乗って国際的にも認知されたことがあったが1979年10月に追放され、現在では日本の天皇陛下だけがこの称号を使っている。

戦後には最後の皇帝と呼ばれていたエチオピアのハイレ・セラシエ1世、昭和天皇、イランのモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(Wikipedia)

いずれにせよ、西ヨーロッパでは西ローマ皇帝に始まり、フランク王国のカール大帝から神聖ローマ帝国皇帝を経て、ドイツ、オーストリア、ナポレオン帝政で皇帝という肩書きが使われた。ビクトリア女王が悔しがったので、ディズレーリーがインド帝国の皇帝という地位をつくって女王を満足させた。

ギリシャ正教の世界では、東ローマ帝国の滅亡後はロシアの君主がツァーと呼ばれたし、ブルガリアなどでも皇帝を自称した君主がいた。

一方、中国では伝説上の君主として3皇5帝があり、周では王が君主の称号だった。ところが、戦国時代に覇者となった諸侯が王を名乗ってすっかり値打ちがなくなってしまった。そこで、秦の始皇帝が3皇と5帝から1字ずつ取って皇帝という称号を名乗り、それ以降は、中国の皇帝の称号として定着した。この皇帝の位置づけがエンペラーと似ているので、訳語として定着し、中国の皇帝や日本の天皇も英語ではエンペラーと呼ばれるようになった。

イスラム圏では、スルタン、シャー、アミール、ハッキム(キング)などさまざまな称号がある。もっとも一般的なのは、オスマン帝国の皇帝も称した「スルタン」という肩書きだ。それに対して、イスラム世界全体の代表者を意味するカリフという肩書きもあって、ISISの指導者が名乗って話題になった。

スルタンは、「権威ある者」といった意味らしいが、アッバース朝のカリフからセルジューク・トルコのトゥグリル・ベグに与えられ、その後、エジプトのアイユーブ朝、マムルーク朝がカリフから公認されたのを始め、スンニー派の君主称号として定着し、オスマン帝国もこれを用いた。

一方、ペルシャ語を起源とする王者を表す「シャー」という称号があり、海軍で提督を意味するアミラルの語源になったアミールは軍司令官といった意味だが、これも、国王や藩王のために使われる。現在はオマーン、ブルネイ、オマーン、モロッコおよびスルターンの称号を使用している。

なお、爵位については、戦前の日本の爵位は英仏を真似たものだ。公爵(デューク、デュック)侯爵(マルキ)伯爵(アール、コント)子爵(ヴァイアカウント、ヴィコント)男爵(バロン)である。公爵はプリンスと訳すこともある。

貴族でも爵位がない人がほとんどで、貴族であることは日本でいえば200石以上くらいの武士であるのと同じ程度の意味だ。

ドイツでは侯爵はない。ロシアでは公爵、侯爵がなく、かわりに大公(プリンス)がある。