怖いのは「夢」の集団感染

2020年06月05日 06:00

流行語

「やりたいことが無いんですよね…」

写真AC:編集部

大学生の進路支援に従事している人間にとっては、毎年耳にする流行語です。

それが、このコロナ禍で、怖いくらいに勢力を拡大しています。1日に4〜5名の大学3年生とオンライン面談を実施していると、例年以上にこの流行語が聞こえてくるのです。

帆柱はマスト

聞けば、将来が不安でたまらず、すがれるものとして、「やりたいこと」(夢)を求めているようです。海で風が止んだ凪のときには、掴まれる帆柱(マスト)がなくても立っていられますが、嵐のときには「掴まれる何か」がマストです。

夢というシェルター

社会という大海原の入口で、コロナという大嵐に見舞われる大学生たち。老舗企業や大企業だからといって、「掴まれる」とは限らないことを目の当たりにしています。

もはや、雇用や生活を全面的に守ってくれるシェルターはどこにもない。外がダメなら内、というわけで、自分を頼りにするしかありません。

ただし、取り立てて過去の栄光を持ち合わせていない場合、未来に光を見るしかありません。後ろがダメなら前、というわけです。結果、夢くらいしか適当なアイテムが思い浮かばない。

夢に囚われているのは誰か

彼らは「夢がないと一歩も踏み出せない」と、ビクビク立ち往生しています。
このことを、「それは若者たち自身の責任である」と糾弾するのは簡単です。
夢が持てないことも、夢がないと身動きが取れないと自分に足枷をはめることも、全ては自己責任である。夢に囚われるな、と。

しかし、本当にそうでしょうか。

たとえば、9割以上の保護者が高校生に「夢や目標を大切にしなさい」と言っています(『第8回「高校生と保護者の進路に関する意識調査」2017年報告書』一般社団法人全国高等学校PTA連合会・株式会社リクルートマーケティングパートナーズ)。

若者たちだけが「夢は必需品である」と思い込んでいるのではなく、そもそも、大人の方に「夢は必携である」という前提思想が沁み込んでいるのです。

夢に囚われているのは若者たちだけではありません。大人も含めた社会全体が、夢に集団感染しているのです。

国民皆教育評論家

教育問題というのは、人々を「国民皆教育評論家」にします。昨今の「9月入学問題」にしても、賛否が割れました。

ウイルスの実態など難解で門外漢のテーマは「専門家」にお任せするしかなくても、教育というテーマは誰しもが「経験者」であり「関係者」になれますから、自由に発言できます。自信をもって。

活発な議論は結構なことです。しかし、「夢」についてだけは、なぜか多様な意見が見当たりません。「夢は持つべき」という均一な意見しか、若者たちには届いていないのです。

「夢を決めてから逆算的に人生を歩ませる」という硬直的な人生設計思想がほどけない限り、入学時期をいつにしようが、入試問題に記述式を加えようが、根本のところでは何も変わらないのです。

(夢に苦しむ若者たちの実態や夢強要のメカニズム・真犯人、処方箋については、近日刊行の『ドリーム・ハラスメント』に記しました)

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