音楽をどう守るのか フジロック中止報道に寄せて

2020年06月05日 11:30

朝日新聞が今年のフジロックが初の「完全中止」になると報じている。海外からのアーティストの招聘が困難であることが主な原因だ。

「ぎりぎりまで開催めざしたフジロック 強気姿勢も限界に:朝日新聞デジタル」

政府が先月25日に発表したイベント開催制限の段階的緩和の方針では、全国的・広域的な野外フェスについては「できれば2メートルの十分な間隔」を保つという条件付きで8月1日以降の開催を認めていた。つまり開催の可能性はあったわけだが。とはいえ、残念な結果となった。

この件に関しては数週間前に、日経電子版にいかにも予定稿という原稿が投稿され、SNS上で波紋が広がっていた。すぐにその投稿は削除されたが、ネット上は言うまでもなくざわついた。インバウンド観光の専門家によると、日経電子版の報道があってから越後湯沢の観光関係者からはため息が漏れ、まるでお通夜のような空気だったという。そう、フジロックフェスティバルは越後湯沢、苗場エリアにとっては、大きな観光イベントでもあるのだ。この時期の同エリアの宿泊施設はスノーシーズンのピーク以上に予約がうまる。

まだ主催者からの正式表明はない。いつも、フジロック関連の主催者からのリリースは金曜の昼に行われることが多い。ちょうどこの朝日新聞の記事はまさに今日、金曜日の朝刊に掲載された。今日の昼、おそらく嫌なお知らせがあることだろう。

朝日の報道は、デジタル版の記事も合わせてみると、関係者の努力が感じられた。もっとも、ロックフェスに限らず、何かが中止になり、関係者やファンが困る瞬間を待ちわびているかのような報道も散見される。当事者もファンも、悲惨な姿の「絵」として消費されていないかと感じる瞬間が多々ある今日このごろ。

たしかに、この状況下では開催が困難なイベントではある。国境を超え大人数のアーティストや関係者が来日する。ファンも国や県をこえてやってくる。野外とはいえ、人が密集する。イベントなどの開催の条件は緩和されつつあるが、この状況下では困難なイベントであることは間違いない。少なくとも、これまで通りの楽しみ方は困難だ。

今年の中止はやむを得ない。むしろ、この時期までよく開催の方向を模索したといえるだろう。粘り強い取り組みだ。

では、来年は開催できるのか?新型コロナウイルスショックをどう乗り越えるか、対策がどこまで進むかによるのだが、1年後でも五輪に関する安倍晋三風の言い回しでいうなら「完全な形での開催」ができるのだろうか。音楽ファンであり、ライブやフェスにもよく足を運んできた私だが、すっかり気が落ちているのか、明るい未来が見えないのだ。

平成の30年はフェスの時代だった。音楽に限らず、食フェスなども広がった。もちろん、誰もが必ず脚を運ぶわけではないのだが。

県によってはライブの再開が行われている。ウェブでたまたま読んだ記事では、入場数を制限し、ステージにビニールのシートをはり、換気タイムも用意。盛り上がったときはタンバリンなど鳴り物を叩くのだという。それでもライブをしようとするアーティスト、ライブハウスの熱に感動し。一方、切なくなった。平時なら「笑える光景」とでも言えるのだが、笑えない。

生演奏に対して拳を売上、歌い、叫び。あるいはドリンクやフードを楽しみつつゆっくり観るという、少し前まで当たり前だった光景が、すっかり昔話になって悔しい。書いていて泣けてきた。

一方、以前のようなライブが再開されたとき、私は以前のように最前列の方にいき、拳を振り上げるだろうか。熱狂するだろうか。密集した中で、身体が触れ合う瞬間に、むしろ生きていることを感じるというあの日々に戻れるのか。すでに、人が多数いる様子をみると「怖い」と感じる自分がいる。

なんせ、コロナの克服が人類の前に立ちはだかる課題だが、どうやって音楽を守るのか。これもいま、そこにある課題である。アーティストは活動の場が失われているし、ライブハウスが経営困難である件も伝えられてきた。

いや、この状況下でも音楽をすることはできる。リモートでのライブの試みなどもある。もともと、レコーディングに関してはリモートで行う試みはかなり前から行われていた。国を超えて各パートを録音し、やはり違う国のエンジニアにミックスをお願いすることは既に可能になっている。

もっとも、ライブやフェスという楽しみをいかに守るか。それに変わるものをどう作り出すかも課題だろう。

音楽は、ライブとサブスクが主戦場になっている。前者は機会が今のところ失われているし、後者はプラットフォーマーにコントロールされるリスクが存在する。アーティストの不祥事などに合わせて、配信が停止になるリスクもある。ライブも少なくともしらばくはいままでどおりのライブにはなりえない。音楽はコントロール下におかれている。ライブでもサブスクでもない、新しい音楽の楽しみ方の何かが問われている。

まだ主催者からの正式発表はないが、今年はともかく来年以降のフジロックが開催されるのか、どのように行われるのか、それにかわる何かが始まるのか。このあたりが気になる今日このごろ。

最後に。

日本のメタルバンド、44マグナムのベースBANさんのブログより。

「これ、あかんやろ | BAN BLOG」

ワイドショーが満員電車をライブハウスにたとえていた。危険な存在、揶揄する対象というニュアンスが明確ではないか。音楽や、ライブをバカにしていい存在、叩いても良い存在としていないか。

ライブハウスでコロナの集団感染が発生した件があったのは事実であり、実際、まだ再開していない県もあるわけだが。わざわざライブハウスの例を持ち出す理由がよくわからない。やや業界の自虐もこめていうならば、すべてのアーティストに人気があるわけではなく。ライブハウスも、満員電車なみになることはむしろ少ないのではないか。そもそも、満員電車の問題は今に始まったわけではない。なぜ、満員になってしまうのか。その背景こそ解き明かさなくてはならない。あたかも、なにかにつけ「プロレス的」とあたかも、プロレスに筋書きがあるかのような、あるいはわざと対立している風に振る舞っているかのように印象づけられるのと同様に気持ち悪い、悪意のある表現である。

音楽を守るために、何ができるのか。今一度、考えたい。と言いつつ、以前のような楽しみ方を求めてしまう自分自身がおり、悶々とする日々である。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年6月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部准教授

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