飲食業の苦悩

コロナで一番影響を受ける業種は何処か、と言われれば案外、飲食業かもしれません。旅行業界や航空業界ももちろん厳しいのですが、会社の規模が違うので銀行からの融資を受ける等、対策を施すことが可能です。一方の飲食業界はチェーン店から個人営業まで様々で資本も必ずしも厚いわけではなく、銀行からの借り入れもおいそれとできるものではありません。

(写真AC:編集部)

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コロナで店舗営業ができないときはコストは極限に絞り込めるのですが、緩和策が出て店が開けられるとなれば仕入れをし、仕込みをし、スタッフを呼び戻し…という営業コストが出る状態になります。一方、見合いの客が入るのか、ここに落とし穴があります。つまり、飲食業の倒産や本格的な自主廃業はこれからではないか、という気がするのです。

ここバンクーバーの場合、コロナ対策のため、保健所の指導により店舗の座席数に対して概ね50%程度の収容しか許されません。いわゆる隣席との距離や対策などを施すためです。店員はおそろいのマスクをして接客してくれるわけですが、何か違和感があるのです。病院の入院患者が食事の配膳をしてもらうようなイメージでしょうか?笑顔がみえないので余計そういう気にさせるのでしょう。

飲食店に何をしに行くのでしょうか?二通りあります。腹を満たす、もう一つはコミュニケーションをするための媒介としての食事であります。接待を含む媒介の飲食は日本の歴史でもあったわけです。法事や見合いといった慶弔ごとから〇〇会の集まりと称した団体や同好会などの定期的な会合であったり、はたまた会社の同僚との飲みや主婦のランチなど枚挙にいとまがないのです。これらは基本的には人と人の関係の「つなぎ」であり、「うゎー、おいしそう」と共感することで人が結び付きやすい状況を作っていたのです。

仮にこれがZoom飲み会に取って代わったらどうなるのでしょうか?これはコロナが変える人々の行動規範でももっとも大きな影響が出るところでしょう。私は今週の金曜日に高校のクラスメートたちとZoom飲み会があります。かつては毎年きちんと集まりがあったのですが、参加者は5-6人に限られていました。今回はZoomなので出入り自由ですし、どこか集合場所に行く必要もないし、抜けにくい雰囲気もありません。顔を出すという人も多そうでかなり盛況になるかもしれません。

外食という音の響きはちょっと背伸びするという感じだったかもしれません。日本では奥様が料理をするという慣行が長く続きました。そしてその唯一のお休みが正月であり、お節料理が保存食であり、1週間それを食べ続けるのは奥様が料理をしなくてもよい「お暇を頂く」という発想が原点です。

現代も同様です。月に一度、あるいは週に一度は外食をしたいというのは80年代頃から始まった「ニューファミリー」のささやかな夢でありました。もちろん、主導するのは奥様でその心にはたまにはおいしいものを食べたい、私も楽をしたい、という背景がありました。ファミレスのはしりと言ってもよいでしょう。

しかし、今や、男がキッチンに立つ時代。週末はパパの料理なんていう変貌ぶりですし、食品メーカーの開発で家でも十分なクオリティの料理がカンタンにできる、更にはクックパッドに行けば無数のレシピが提示されているのです。

その間、日本人の口も肥えてきました。家族でどこかに食べに行こうとなるとファミレスでは誰も喜ばないのです。居酒屋はサラリーマンのオヤジたちの集まりで若い人が積極的に行きたくなる雰囲気はありません。つまり、飲食も時代の変化の真っ只中にいるのかもしれません。

中間的な店、つまり、安くもなく、高くもなく、味も中くらいというところが一番苦しくなるかもしれません。私は繁華街の飲食系店舗で厳しい淘汰が起きるような気がします。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年6月12日の記事より転載させていただきました。