単なる悲しい事件ではない:追悼 横田滋さん

2020年06月12日 16:00

6月5日、北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんのお父さんで、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会) 初代会長の横田滋さんが死去されました。

北朝鮮による拉致被害を、皆さんはご存知だと思いますけれども、振り返ってみたいと思います。
昭和50年代、西暦だと1970年代後半から1980年代にかけて、北朝鮮によって次々と日本人が拉致されました。日本国内で日本人が、あるいは韓国籍の人がというケースもありました。また、海外で日本人が拉致されるというケースもありました。さらにはフランス人やイタリア人の拉致被害者も発生しています。現在日本政府が北朝鮮による拉致被害者と明確に認定している人は17人(内5人は帰国)。いわば証拠が揃っている人たちです。一方で、状況から考えて北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者はなんと878人にも上ります。

拉致が発生した昭和50年代から20年以上もこの拉致という事実そのものが、日本では問題になってきませんでした。要するに、単なる行方不明者や「不思議だね」と考えられてきたわけです。これは警察、外務省、政治家、全てが悪いです。そして背景には、外交関係や、またマスコミの価値観というのもありました。当時は東西冷戦構造下にあり、日本は自由民主主義陣営側の西側、しかしマスコミは共産主義・社会主義の東側を持ち上げた報道をする価値観がありました。当時、朝日新聞などは北朝鮮を幸せな国なんだと報じていましたし、他のメディアでもそうした価値観がありました。今でもそうした面はありますね。例えば、尖閣諸島についても、これまで中国の脅威は、本当に近年になるまで報じてきませんでした。拉致について産経新聞の新潟支局発で拉致問題だけではなく、北朝鮮に対する批判について報じた時に、「世紀の大誤報だ」と言われた。

平成9年(1997年)に拉致被害者の御家族により「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)」が結成されました。そこで被害者家族が初めて声をあげ、国民にも拉致という事実があったということがわかるようになりました。しかし人間を勝手に工作員が拉致するというような国、北朝鮮ですから、家族も声をあげたらスパイに殺されたり、嫌がらせを受けるのではないかなどなど、これは大変な勇気がいることでもありました。そして、そんなひどいことが許されるのかという世論が形成されて、平成16年に小泉純一郎首相が訪朝し、第1回日朝首脳会談において、北朝鮮が初めて拉致を認め、謝罪し、再発防止を約束、その後、5名の拉致被害者が24年ぶりに帰国しました。しかし、政府として拉致に対して取り組むんだということで組織的にきちっと位置付けられたのは平成18年でした。第1次安倍内閣のときに拉致問題対策本部が内閣に設置されて、拉致問題担当大臣が設けられました。

さて、横田めぐみさんと私は全く同じ昭和39年(1964年)生まれです。
1977年11月15日、当時13歳だっためぐみさんは中学校のバドミントン部の活動を終えた帰宅途中に拉致されました。私はその当時、中学の野球部で毎日野球をし、その後高校に行き大学に行く人生を送ってきました。父親は昭和ヒトケタ、母親は昭和10年代、家族構成もほぼ同じで、もし私が拉致されていたとすれば、私の人生は、そこから先、今までやってきたこととは全く違う人生になっていたわけですし、どれほど両親が悲しみに暮れ、声を上げて私を探し回ったかと考えると、本当に胸が痛くなります。

でも皆さんこれ単に悲しいニュースではないですね。我が国の国家主権が侵されているわけです。別の国の工作員がやってきて、日本人を拉致していく、取り戻さない、取り戻せない。皆さんはそれでいいと思いますか。手足を縛られ猿轡をされて、暗い船の底で知らない国に連れて行かれる。家族、友人、知人から引き離され、自由を奪われ、命令通りの生き方しかできない。そんなの嫌でしょうし、あってはならないことです。ですから、こういう事が起きないように国民を守るのが国です。そのために、各国では警察や軍隊があるわけです。しかし、日本はそういう意識が低すぎると思います。

横田茂さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。


編集部より:この記事は、前横浜市長、元衆議院議員の中田宏氏の公式ブログ 2020年6月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。

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中田 宏
元衆議院議員、前横浜市長

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